本紙 111,5 ×51,2㎝
軸装 194 ×58,4㎝
紙本着色

青木夙夜
(あおきしゅくや)
?~享和2年(1802)
京都の人。
韓国餘章王の末裔と自称して、
餘夙夜と名乗っていました。
これは中国や韓国の文化・芸術に憧れたこの時代の流行です。

従兄弟である韓天壽が池大雅ととても親しかったことから
池大雅の門人となり、画を学びました。
大雅没後、
真葛原(現在の円山公園附近)にあった大雅の住まい大雅堂と
大雅の持ち物や作品を守り、
大雅堂二世を名乗りました。
大雅没後25回忌の主催者の一人でもあります。
夙夜がどれほど大雅を慕っていたかわかりますね。
この25回忌の追善会案内状には、
84人もの僧、学者、書画家、商人の名が連なっていて、
大雅の人柄と、
門弟達に、どれほど大雅を慕われていたかが
はっきり表れていて感動します。

この作品は、
手前の小舟に乗った貴人が
松原越しに、そびえる富士を臨んでいます。

箱書きに
「赤人□獄 歌□□山水」
とありますので、
山部赤人の
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の富士のたかねに 雪は降りつつ」
を描いた作品としました。

そういえば、
富士山の上の部分は
輪郭の周りに薄墨を施し、
下部に淡いブルーを掃き
更に手前の山並みを黒く描くことで、
雪の白さを際立たせています。

富士山の手前の山並みは、
いかにも大雅に手ほどきを受けた筆致です。
松原の潤った松の表現も、
大雅直伝と感じられます。

山並みの点苔、
漂い、松原に寄せる波、
船上の人物はとても繊細な筆。
夙夜らしさが、思う存分に発揮された
明るく、晴れ晴れとした作品です。

款記から、
明和7年(1770)の作品。
大雅は48歳で、素晴らしい作品をたくさん描いた充実した時期に
大雅の手ほどきを受けて描かれたのでしょう。

庚寅春日寫
東山餘夙夜
「餘俊明」白文方印
「餘夙夜」白文方印

本紙上部は僅かにはがれかけてきていて
左に黒点の汚れ、
本紙下部には折れ虫食いなど僅かな難点がございます。
軸装に、小さな虫食い穴などがございます。
画像でご確認ください。
気になる点は、
お気軽にお問合せください。

時代箱付
《お買い上げありがとうございます》

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落款、虫食い部分

軸装下部、本紙に近い部分右にも虫食いがございます。

傷み部分

蓋の桟が片方なくなっています。