本紙 128,8 ×54,5㎝
軸装 194 ×69,5㎝
紙本墨画

池大雅
享保8年(1723)~安永5年(1776)
諱/橆名(ありな)・勤
字/貨成・公敏
号/大雅堂・三岳道者・霞樵・九霞、他

京都に生まれ活躍した、絵師で書家、文人。
当時、応挙・若冲と並ぶ、大人気アーティストです。
20才代ですでに名声が高く、
旅が好きで日本各地を旅したため、
日本各地に大量に偽物が存在しています。

近世の絵師で、
国宝・重要文化財に指定されている作品は、
大雅が最も多いことは、
現在ではあまり知られていません。
文化庁にも数多くの大雅作品が収蔵されています。

川端康成、梅原龍三郎、谷川徹三ら
一流の文化人、画家たちも大雅に魅了され、
その作品を愛藏されていました。
国宝に指定されている「十便十宜図」は川端康成さんの旧蔵品です。

この作品は、
大雅にしては珍しい鶏頭の図。
太い茎に鶏冠(トサカ)のような大きな花を乗せた鶏頭と岩、
岩陰から姿を見せる野菊。
薄っすら配された伸びやかなススキが画面に広がりを与えています。

画面上方の賛は、

秋光及物眼猶迷
著葉婆娑擬碧鶏
精采十分伴欲動
五更只欠一聲啼

宋時代、趙企の七言絶句を
江戸前期の京都の儒学者で思想家・伊藤仁斎の五男、
伊藤蘭嵎(らんぐう)が書いています。
記された戌寅は、宝暦8年(1758)。
大雅34才、蘭嵎64才。

この漢詩は白い鶏頭の事らしいんです。
それで、大雅はこの鶏頭の花を白く描いているんですね。

ところで、この鶏頭の葉の描き方は
近代中国芸術界の巨星・呉昌碩(1844~1927)の描き方にとても良く似ています。
大正・民国期の日中の教養人たちは、
芸術・文化を通して深く交流し、尊敬しあっていたんです。
呉昌碩は漢学者の長尾雨山と強い結びつきありました。
京都人の雨山から大雅の作品を見せられ、学んだのかもと
私はこの絵から感じました。

下方の黒々と潤う苔塊。
上方の賛に向かってすっくと立つ白い鶏頭と
学者らしい飾り気のない書姿。
素晴らしいバランスです。

落款の
「池廡名」
は鋭く細く書かれています。
この「廡」は、あまり類例のない書体です。

「橆名」「貸成」白文方印
岩の下部分に捺された長方印(解読不可)は、
「画式四種・4巻」(宝暦12年・大雅39才)
に捺された印章と一致します。

時代箱付

本紙に上部など傷みがございますが
鑑賞に差し障る程度ではございません。
画像でご確認ください。

¥450,000
消費税・送料別
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軸先

箱表

箱内側