長径 約19,7㎝
短径 約18㎝
手を含む高さ 約12㎝
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長尾雨山
(ながおうざん)
元治元年(1867)~昭和17年(1942)
明治・大正時代の漢学者・書家・篆刻家・文化人。
名・甲
字・子生
号・雨山、石隠など
讃岐高松藩士の子として生まれ、父親に漢学を学ぶ。
東京帝国大学文科大学古典講習科卒業。
東京美術学校の設立、
日本最古の美術研究雑誌「國華」創刊にも関わった方です。
上海に移住し、中国最初の中等教科書の編纂に従事、
中華民国2年(1913)に、
古典中国書画・金石学の研究学術団体「西泠印社」ができた時にも参加しています。
大正3年(1914)に帰国後は、京都に住んで、
中国の政治家や芸術家、
日本の学者・芸術家・政治家と広く交友。
中国の文化芸術を日本に紹介し交流する
非常に大きな功績を残しました。
書家・篆刻家・研究者・鑑定家として偉大なだけでなく、
呉昌碩・鄭孝胥・羅振玉ら
中国の文化人に厚く信頼され、愛された方です。
日本と中国の芸術文化、文化人、政治家の交流は、
雨山なくしてはありえなかったでしょう。
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向かい合う二辺の真ん中を凹ませた四方形の手鉢。
見込み画面上下で、掛け分けています。
緑釉を掛けなかった半身は更に斜めに色が変わる、
W描き分け。
半身の縁の縞模様もお洒落です。
蓋表に、
「織部手鉢 千代乃錦」
蓋裏に、
「大正八年五月七日
皇太子親王殿下御成年
式を祝ひ奉る心にてこれを
購ひ并(ならび)に銘を志流寿(しるす)
長尾甲書」
と墨書きされています。
大正8年(1919)、
当時の殿下、後の昭和天皇の二十歳の祝賀にあたり、
長尾雨山が購入し、自ら
「千代乃錦」
(皇太子殿下の煌びやかなご繁栄が末永いことを)と、
銘した手鉢です。
黒々と濃い墨で、
雨山特有の美しい整った書で書かれています。
最後の「志流寿(しるす)」に
《寿》を使うあたり、
誠実で情の深い雨山らしいなと、
胸を撃たれます。
箱も、蓋にも四方にも几帳面の設けられた上等な誂えです。
雨山の、このお品とお品を通した皇室への敬愛がわかります。
親しかった、呉昌碩を筆頭とする清朝の芸術家・政治家の作品に、
雨山の箱書きがあることはままありますが、
本作品のように、
書画以外、日本の古美術品に箱書きがあるのを、
初めて見ました。
東京美術学校の設立、
日本最古の美術研究雑誌「國華」創刊にも関わった、
雨山の眼にかなった、
センスの良い手鉢です。
箱は、経年の傷み、汚れがございます。
¥350,000
消費税・送料込
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