口径 約14,1㎝
高さ 約5㎝
底径 約5,2㎝

北大路魯山人
明治16年(1883)~昭和34年(1959)
京都の上賀茂神社の社家に生まれながら、
生まれた時にすでに家庭の無い、過酷な幼少期でした。
養子に出された家の家業を手伝いつつ、書を独学し世に出、
扁額の製作を通じて得た、富裕層・芸術家などハイクラスの社交から、
東京で古美術商を営み、お客をもてなす為の「美食倶楽部」を発足。
自ら使うための器製作を始めました。
人間国宝の指定を断った人です。

造形の美しさに、こんなに痺れさせてくれる形は
魯山人でなければできなかった仕事。

理屈ではなく、
気持ちいの良い丸さ、広がり、手取り感。
主体性の強い姿。

高台のエッヂのきれたキリッとした形は、
私には、藍九谷手の古伊万里の造形によく似て見えます。
高麗の斗々屋みたいに、
高台から口縁への下方に一段切り替えがあって、
キレッキレの高台から、柔らかな口縁に、
矛盾なく連続しています。

外側に掛けられた灰色の釉薬は、敢えて半分拭きとられて、
轆轤目の土がみえています。
そこに、
内側からたっぷりと掃かれた白土がはみ出して、
清々した景色です。

内側の刷毛目は雄大です。
惚れ惚れします。
底の真ん中に小さなポッチが出ています。

口縁に一ヶ所、
5㎜×2㎜ほどの金繕いがございます。

モノ自体に銘はございません。

「者希め(はけめ) 茶垸 魯山人」
の、箱蓋上の墨書きの美しいこと!

この方が、書を書くことで
自らの人生を最初に切り開いたことを悟ります。

「茶垸」と書くのは魯山人の哲学、美意識です。
《垸》は、器でなく、器の中の飯のこと。
美味しいものを「食す」ことから、
器の道に入った人です。
また、桃山の茶人の熱愛した高麗ちゃわんは、
もともと半島の人々の食事の雑器といわれています。

その出自をもって、
この文字を使っているようにも、思えます。

旧蔵者の手による書付がついています。

「此茶盌は茶だまりを霞ヶ浦に見立てつれバ
中の兜巾は浮島とも見得べし。
向ふに筑波山の聳ゆるある○頗る妙。依って
銘『宇きしま』とは如何
昭和三十年七月 一心庵」

箱の蓋の上の桟の木釘が用をなさず、
桟がぶらぶらしています。
また、箱、紐はヤケや汚れがございます。

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魯山人作刷毛目茶碗



 

 
金繕い部分内・外
兜巾


魯山人作刷毛目茶碗

 



  

蓋裏桟の状態