本紙 24 ×17,3㎝
軸装 131 ×33㎝
紙本
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本阿弥光悦
(ほんあみこうえつ)
永禄元年(1558)~寛永14年(1637)
桃山~江戸時代初期の文化芸術の最高峰人物。
書は「寛永の三筆」の一人と称され、
俵屋宗達下絵・光悦書のコラボ作品は、
琳派芸術の金字塔として、君臨しています。
極端な丸い造形に、鮑を螺鈿・鉛板を大胆に貼り、
厚く盛った金銀蒔絵の「光琳蒔絵」の漆芸作品、
独特な造形美の陶芸作品など、
多方面に、圧倒的斬新で大胆な作品を残しました。
その後の時代の文化芸術への影響の計り知れないアーティストです。
国宝・重要文化財に指定された作品が、
非常に多いのです。
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田山方南
(たやまほうなん)
明治36年(1903)~昭和55年(1980)
三重県生まれ
文化財調査会書跡部会長を務め、
書跡・典籍・古文書の調査、保存に尽力し、
文化庁主任文化財調査官、
国宝鑑査官を務めた人物。
禅林の墨蹟研究者。
文化人、数寄者達からの信頼厚く、
この時代のハイクラスの交友の場の重要登場人物の一人です。
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後京極摂政前太政大臣
きりきり須(す)なくや
霜夜のさむしろ尓(に)
衣か多(た)しき ひとり
かも祢無(ねむ)」
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書いたモノは、
書いた人の人となりがはっきりと現れます。
この光悦の筆跡は、400年経った今も、
全く衰えない力を発しています。
凄いエネルギー!
もちろん、
墨も紙も極上品で、退色劣化しにくいのでしょう。
それにしても全く衰えの無い存在です。
家康から鷹峯の地を拝領し、芸術村を築いた無双の人物の、
計り知れないエネルギーが、今ここに存在しています。
金は比重が重く、極々薄く延ばしても擦れずに、
ほんのちょっぴりでも絶対的に輝きますね。
そんな感じの墨跡(すみあと)です。
文字の書き始めの筆の入り、
文字の繋がり、
「さむしろ」の《む》の髪の毛のような縦線、
「ひとりね」の《と》。
限界まで引き延ばされた金の粒子のようです。
詰まった最初の行から、
徐々に余白を多く取り、
肥痩を極端に、伸びやかに配置された最後の二行まで、
自由に運ばれつつ、文句のつけようのない筆の跡。
紙には薄い色で花の絵が描かれています。
それが不自然に切れていることから、
もともと巻物であった作品が、
断簡にされた可能性が考えられます。
光悦の落款がないのもそのためかもしれません。
虫食いを補修して軸装されています。
落款がないこと、
シミがきつく出ていることから格安ですが、
光悦作品に間違いありません。
墨蹟研究の権威・田山方南の極箱
(箱にもシミがでています)
¥200,000
消費税・送料込
シミ
軸装裂にもシミが出ています
一番シミのきつい部分
背面
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