本紙 約99 ×39,5㎝
軸装 約182 ×55,7㎝
絹本淡彩

陶弘景(456~536)は、
中国六朝時代の偉い人。
幼い時から抜群に優秀で、皇帝に仕え、国を動かす役職を務めました。
36歳で隠遁した後も、
梁の武帝の厚い信頼で治世のアドバイスを求められ、名声はいよいよ高まり、
王侯貴族が多く門弟となった、とされています。
Wikipediaには、
眉目秀麗にして博学多才で詩や琴棋書画を嗜み、
様々な学問に精通し、書の名手であったと書かれています。

大雅が憧れに憧れた、
中国の文人の最高峰であったのでしょう。

Wikipediaの陶弘景の画像は、本作品と全く同じように、
樹の下の陶弘景が童子の奏でる簫に聴き入る図です。
江戸時代に中国からもたらされた書籍によって、
大雅も同類の図を見て、
陶弘景のイメージを膨らませたのかもしれません。

本作品は非常に変わった構図・筆致です。

主役の陶弘景と簫を奏でる童子は、
とても細かな線で密に描かれ、
衣に藍色、童子の袴と肌には代赭(朱)が彩色されています。

ごく微細な線で描かれた表情。
うっとりしています。

たっぷりした衣のドレープや、
幼児時代の聖徳太子の姿によく描かれるような童子の袴の感じ。
大雅作品では異例といえる繊細な筆致です。

すぐ後ろの灌木の葉っぱの、丁寧な白描表現。
ここだけ高精細画像です。

太い輪郭だけで描かれた松の幹が白描の効果を高めています。

濃い薄いを巧みに配した松の葉、周りの灌木。
ムラムラとした濃淡が、中心人物の額縁の役割をしています。

現在では、デジタル加工で、画像作品をより印象的に、
見る者の眼を惹くように効果をもたらしますが、
大雅は、それをアナログでやってしまっています。

前景の岩や後景や山の大胆な描き方も、
大雅にしかできない、大雅特有の姿です。

じゃが芋みたい。

岩や山であると同時に雲のようでもあります。
陶弘景は雲に乗っているようにも見えますね。

憧れの陶弘景を描くにあたり、
大雅が、実際に見える姿と心象風景を再構成させ、
より神聖を高めた作品です。

他に、大雅が陶弘景を描いた作品の例を、私は存じません。

本作品には款(名前)の記載がありませんが、
玉瀾のために描かれたとされる、
富士十二景図(東京藝術大学蔵・滴翆美術館蔵)や、
般若心経など、プライベートな作品には、無款作品の多い大雅です。

他に類例のない描き方であることからも、
誰かの依頼ではなく、憧れの古典人物を視覚化した、
大雅自身のための作品であったのかもしれません。

池大雅作品集(昭和35年・中央公論美術出版発行)掲載
682画作品中、絹本に描かれたのは、59作品。
全体の8.6%に過ぎません。

本作品は少ない絹本作品です。
絹本に描かれていることが、大雅がこの作品をいかに思い入れて製作したかの、
一つの証だと、私には思えます。

「前身相馬方九皐」朱文長方印
「霞樵」朱文楕円聯印

印章と筆致から40歳代後半の作品と思われます。

絹本に汚れや修復痕が散見されます。
鑑賞を妨げるものではございません。
画像でご確認ください。

江馬天江
(えまてんこう/1825~1901・京都の書家・漢詩人・医師)の鑑定書きのある箱付

¥300000
消費税・送料込

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池大雅
享保8年(1723)~安永5年(1776)
諱/橆名(ありな)・勤
字/貨成・公敏
号/大雅堂・三岳道者・霞樵・九霞、他

京都に生まれ活躍した、絵師で書家、文人。
当時、応挙・若冲と並ぶ、大人気アーティストです。
20才代ですでに名声が高く、
旅が好きで日本各地を旅したため、
日本各地に大量に贋物が存在しています。

近世の絵師で、
国宝・重要文化財に指定されている作品は大雅が最も多いことは、
現在ではあまり知られていません。
文化庁にも数多くの大雅作品が収蔵されています。

川端康成、梅原龍三郎、谷川徹三ら
一流の文化人、画家たちも大雅に魅了され、
その作品を愛藏されていました。
国宝に指定されている「十便十宜図」は川端康成さんの旧蔵品です。

池大雅筆陶弘景聴簫図

 
《霞樵》朱文楕円聯印・《前身相馬方九皐》朱文長方印

唐木軸先(風鎮は付属いたしません)
  
ヨゴレ・修復痕
  

 

軸装にも僅かに汚れあり
 

蓋裏江馬天江極め書

差し箱です