胴径 約8,5㎝
高さ 約6,7㎝

大谷心斎(尊由)
明治19年(1886)~昭和14年(1949)
浄土真宗本願寺派第21世・大谷光尊の四男
本願寺執行長・管長代理などを歴任
大谷探検隊を財政面で援助
第一次近衛内閣で、拓務大臣
西本願寺内で「文如忌茶会」を主宰
「光悦会」の三代目会長を務め
「東の益田鈍翁、西の大谷尊由」と称えられました

植物で編んで、ちょうど大海茶器に似た姿に成形され、
赤と紫と紺に染色した草を織り込むことで模様を表しています。
裏面は、別の二種類の植物によって編まれています。

箱の蓋裏に「北米インデヤン作 心斎将来(花押)」
と墨書きされています。

尊由(心斎)さんは、大正14年(1925)10月~翌年の2月まで、
アメリカ・カナダに渡航されています。
その時に持ち帰られたのかもしれませんね。
「将来」はきっと「招来」です。

東南アジアの国で作られた蒟醤(キンマ)が室町時代に舶来し、
桃山・江戸時代の茶人が、その素朴な手仕事の美を高く評価して尊んだように、
近代数寄者を代表する尊由さんが、
北米の地で見つけた民芸の品を茶道具とされたことは、歴史の中でごく当たり前の感覚だったでしょう。

モザイク状の網目で表わされた鮮やかな幾何学模様。
器体の下に一本、蓋の縁に一本線を回しているのもとってもお洒落。

茶器としての機能を持たせるために、
内側と合の重なりに朱漆を施し、蓋裏に花押を黒漆で入れています。

濃紺の縁の蓋を開けると現れる、漆の朱色が鮮やか!

耐久性の弱い材料で作られていますが、
100年経った今もコンディションはパーフェクトです。

先にご紹介いたしました茶杓とのお取合せがもう最高!です。

「茶入」とありますが、現代では薄茶器で。
この時代は器物のカテゴリーがおおらかであったのでしょう。

既に茶道具としての地位を確立したお道具ではなく、
開国後に初めて知るところとなった北米の文化は、この時代の《新しい渡りもの》。
尊由さんの極上のセンスと遊び心を分かち合ってくださる方に。

現在のコンプライアンスでは、不適切とされる表現に近い墨書きですが、
大谷尊由さんの表現を尊重し、説明文章にはオリジナル表現を表記いたしました。
ご理解賜れますようお願い申し上げます。

共箱

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消費税・送料込

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大谷尊由在判北米インデヤン作茶器
蓋甲

むちゃくちゃ可愛い
裏面


大谷尊由在判北米インデヤン作茶器