高さ 約20㎝
胴径 約16,5㎝
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尾形乾山
寛文3年(1663)~寛保3年(1743)
京都の呉服商雁金屋宗謙の三男に生まれる。名は権平。
25才で父が没し、名を深省に改め、鳴滝近く双ヶ岡(ならびがおか)山麓に習静堂を建て隠棲。
元禄12年(1699)、仁清から陶法を伝授され鳴滝窯を開く。
都の乾の方角であったことから「乾山焼」と呼ばれ、
「乾山」が名前のようになっています。
ご存じの通り次兄は尾形光琳。
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器体の中ほどを少し凹ませ、ほんの少しだけお尻の径が大きな水指。
惚れ惚れする良い形です。
水平方向の細い轆轤目が外側にも内側にもはっきり表れます。
薄い造りです。
白化粧の下地を施した部分に、
銹絵で勢いよく竹を、銹絵と染付で竹の葉を描きます。
同じく銹釉で、
雨洗娟〃浄
乾山深省▢
と絵付けされます。
「雨洗娟〃浄」は盛唐の詩人・杜甫の「厳鄭公宅咏竹」の中の五言。
雨に洗われてとっても清らかで美しいなぁ、の意です。
書かれた文字も美しい。
ところで、
右側に二本の竹を、左側にこの杜甫の詩を描いた乾山の角皿を、
出光美術館が所蔵されています。
出光作品は、絵は光琳が描き、漢詩を乾山が書いていて、
鳴滝窯時代の最後の4年間に作られた作品とわかります。
本作品は、乾山の銘の書き方から、
正徳2年(1712)、乾山が二条丁子屋町に引っ越してからの作品と考えられます。
鳴滝時代に、絵師である兄との合作作品で完成させたパターンを、
後年に水指に使ったものと思われます。
真っ直ぐに伸びる竹は、縦長の器物にぴったりの画題ですね!
凄く良い絵です。
乾山の水指は非常に珍しいです。
バキバキに割れていますが、恐るべき技術で金繕いされています。
外側だけでなく、内側にまで繕った痕に金銀を施しています。
気の遠くなるような修復作業です。
ものすごく巧いです。感動的です。
白化粧土が所々剥がれ、絵付けが欠損した部分がございます。
その欠損の周辺も、非常に丁寧に金銀を施して、剥落が進まないように手を加えてあります。
水指の耳は、地上に現れた竹の根の姿でしょう。
小さくても力強く、根の弾力そのもの!
少し曲げて着けられているのも秀逸な造形です。
蓋は失われていました。
《参考作品》





超絶な金繕い修復



