口径 約11,5㎝
高台径 約5,7㎝
高さ 約7,1㎝
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永樂和全
文政6年(1823)~明治29年(1896)
千家十職の土風炉師・焼物師永樂善五郎家12代
真っ赤な鯛が一尾、器の半分をぐるーっと回って描かれます、
背ビレと尾ビレは内側に入り込んで繋がっています。
箱の蓋表に
「仁清焼 茶碗 鯛の繪」とありますので、
鯛の絵は和全の筆。
目の周りと口と歯に白いざらっとした絵の具が使われ、
立体感があります。リアルです。
エラとヒレの下に水色がちょっとだけ施され、
瑞々しく、新鮮! 粋がいいよ!の感じ。
センスいいなぁ!上手いなぁ。
高台内をぐるっと削った土の跡が、豪快で見事です。
口縁が天目茶碗のような造形なのが、
おめでたい図の格調高いことを感じさせてくれ、
胎土が厚く、手に重さがかかるのが、大きな鯛の重量感を連想させてくれます。
箱蓋裏に「丁亥春 應需 六十五 和全造」の墨書き。
求めに応じて作られた一点モノ。
丁亥は明治20年(1887)です。、
器の内外を跨いで大きく描かれた伊勢エビの図の茶碗は、
民平焼の代表的な絵付けの一つですが、
鯛の絵は、なかなかお目にかかりません。
初釜、お正月、旧正月に、大活躍してくれそうなお茶碗です。
「八千代まで
かはらぬ
色や
春の海
七十有三翁
雪男(?)」
この句は、和全に茶碗製作を依頼した主の直筆でしょう。
乾かないうちに触って、ちょっと汚しています。
それものどかな感じです。
和全はとっても上手いです。
ご維新の混乱期、国内に需要が期待できない世の中で、
世界に開かれた市場に販路を見出し、
世界各国で界された万博で、日本が美術工芸品を売り込もうと頑張った時代の陶工です。
陶芸への熱量が半端ないです。
ひとつ一つの作品に強い存在感があります。
永樂家は9代まで土風炉だけを作る陶工の家でしたが、
天明の大火で被害を受けた後、
10代了全が三千家の援助を得、樂了入に学んで他の焼物も制作するようになります。
《仁清焼》とあるのは、
嘉永5年(1852)に、仁清の窯跡に御室窯を開いたことから、
名乗ったものと思われます。
¥66000
消費税・送料込


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上から
底裏

蓋表/ 蓋裏


箱裏面

歯がリアル!
