約8cm
木彫・金属
江戸時代
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江戸幕府の将軍が変わるたびに、
朝鮮王朝からお祝いにやってきた朝鮮通信使。
正使・副使・従事官の官職の他に
画員や楽団を引き連れた総勢4~500人もの
大使節団でした。
朝鮮の首都漢城を出発し、
釜山から対馬へ。
そこから対馬藩が同行し→瀬戸内海を船で大阪まで移動し、
淀川を登って京都に入り。
京都からは陸路で江戸まで行列したのです。
各地の大名は、
威信をかけて大宴会で使節団をもてなしました。
どんなに盛大な行列だったかは
資料や屏風の絵として残されています。
迎える側の日本人たちにとっても
大変なお祭り騒ぎだったんですね。
各地に今もお祭りが伝わっています。
海の向こうの文化・風俗は、
日本人の憧れでした。
通信使一行が滞在した地では、
みんな、見たくて会いたくて、
何かしら彼らの持ち物が欲しくて、
書でも画でも一筆描いて欲しかったんです。
来ていたものまで、脱がされてしまったと伝えられています。
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この根付けの人物は、
帽子と手に持ったラッパ、
ブーツを履いている姿は
朝鮮通信使の楽団員。
巻き毛の髭や外套は南蛮人。
色んな文化が混ぜこぜの姿。
朝鮮通信使は日本中で大人気だったため
通信使を直接見ていない地方にも
関連グッズがあるんです。
これは、北陸で見つけたお品。
朝鮮通信使は通らなかった地方です。
それにしても
満面の笑顔
ちょっと、人を喰ったような表情にも見えます。
帽子や上着の模様が細かく彫り込まれた細工。
ボタン部分は真鍮か錫が嵌め込まれています。
珍品です。
自立しません。
銘ナシ
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