長 18,2㎝

法輪寺は、
聖徳太子の病気平癒を願って、山背大兄王によって創建されたとも、
創建法隆寺消失の後、百済の開法師らによって創建されたとも、伝えられています。
三重塔は、法隆寺の五重塔・法起寺三重塔と共に、
斑鳩三塔と呼ばれます。

創建時の三重塔は国宝でしたが、
昭和19年(1944)年7月21日の落雷により焼失。

その再建の勧進のために作られた茶杓でしょう。

当時の住職・井ノ上慶覚(けいがく)師によって作られ、
箱の蓋裏に
「大和法輪寺西室三重塔飛鳥時代古材以て是れを作る
法輪寺慶覚作」
と墨書きされています。

木目が非常に細かいです。
飛鳥時代は、聖徳太子が摂政になられた推古天皇元年(594)から、
広義では和同3年(710)までの時代。
1300~1400年も前!
木材が綺麗で驚きます。

半分から下は、表に現れていた部分でしょう。
木目の線と線の間の柔らかい部分が、経年で凹み、筋に凹凸ができています。
何の跡でしょう?
小さな斑もできています。
1300年もの年月の痕跡。
切留近くには、胡粉かな、白い着色が残った部分があります。

飛鳥時代の仏さまに直接触れることは、
ご住職か美術館の学芸員・研究者など、限られた人にしかチャンスがありませんが、
このお茶杓は、触れて使うことができます。
聖徳太子の時代の木片。
大陸からやってきた仏教によって、人々が安寧に暮らせるよう、
世を治めようとされた聖徳太子。
その仏教建築の一部分です。

有名な古刹の古材は、焼き印さえ押せばそれっぽくなるので、
贋物が多いです。
その上、茶杓という存在は、そのものには何の銘もないものなので、
筒や箱に立派な書付があっても、中身と外身があっているかは、
自分自身で判断しなければなりません。

その点でも、本作品は疑問の余地のない
飛鳥時代の木。
仏教建築の片鱗と思うとドキドキします。
ちょっとある、白い着色部分は、
どんな部分だったのでしょう。

「塔の雲」の銘は、全く捻りのないネーミング。
落雷により焼えてしまった国宝の塔の在りし日の姿、
「塔越しに見る空はこんなだった」とご住職の目に焼き付いた情景への、
想いの強さをそのままを銘にしたのでしょう。
非常に強い、気持ちの籠ったお手です。

勧進のために古材で茶道具を作る場合によくある、
数をたくさん作らねばならないお品のやっつけ仕事感が、
本作品には全くありません。

法輪寺の公式hpによると、
昭和30年代後半から、ご住職2代に渡り再建事業に情熱を注がれ、
塔の再建は昭和50年(1975)。

焼失時に運び出されてご無事であった、
舎利塔・釈迦如来像・四天王像が納められて落慶法要が営まれたとあります。

蓋表のお手も大きく大変に力強いです。
箱の蓋表にシミが出ています。

¥70000
消費税・送料込

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法輪寺三重塔飛鳥時代古材茶杓銘「塔の雲」



  

 
箱蓋裏・内・箱裏