本紙 約19,8 ×31㎝
軸装 約105 ×41㎝
紙本墨画
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狩野探幽
慶長7(1602)~延宝2(1674)
室町時代から幕府の御用絵師を務める狩野派の絵師。
狩野孝信と織田信長の家臣・佐々成政の女(むすめ)の長男として京都に生まれ、
天稟の才能と人間力で江戸幕府の御用絵師となりました。
二条城・大徳寺・妙心寺等の障壁画など、大建築を飾る作品も手掛けられた日本美術の金字塔。
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江月宗玩
天正2年(1574)~寛永20年(1643)
号/ 欠伸子・懵袋子
大徳寺第156世
江月さんは、 安土桃山時代、南蛮貿易で巨万の富を得た堺の豪商、
当時日本一の金持ちといわれた 天王寺屋の次男として誕生し、
大徳寺龍光院(りょうこういん)の開祖の春屋宗園のもとで学びました。
父親は、大貿易商であっただけでなく、 織田信長や豊臣秀吉に、茶頭としても仕えた、津田宗及(つだそうぎゅう)。
当時お金持ちは、跡取りでない子息をお寺に入れ 教養を身に付けるのが流行ったのだそうです。
学問、禅の才能に優れ、人としても優れた方で、 当時の文化《寛永文化》の中心人物だったんです。
探幽さんももちろんこの時代の文化芸術の中心。
二人のコラボ作品は非常に多いです。
とても親しい間柄であったことがわかります。
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正面を向いてうずくまり、何かに集中する虎猫。 尻尾が立っています。
ダミダミと水分たっぷりの筆を転々と置いた後、
細密な筆で毛並みを描き、柔らかな質感を絶妙に表しています。
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雄哉意毬
元立戦功
普願若在
鼠子益豊
懵袋戯賛
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探幽さんがあまりに素敵な猫の絵を描いたので、
江月さんが自作の賛を書いたようです。
探幽の猫は身構えて下の方を見据えています。
尻尾のピッと立った様子や、背中の毛が線状に濃く描かれ強調されている姿から臨戦状態なことがわかりますね。
(猫は)転がる毬に狩りの本能を発動し、戦おうとしているなぁ
願わくば、鼠が(脅かされず)豊かでありますように。
の意でしょうか。
鼠はたくさんの子を産むことから、子孫繁栄の象徴です。
大黒様のお使いでもあります。
江月さんは、桃山時代・戦乱の世を生き抜き、
ようやく安定した世の中になろうとする徳川幕府時代を迎えたところです。
織田信長の堺攻めで、超大金持ちの実家は町もろともなくなってしまっています。
本能的に他者を滅ぼそうとする猫の絵に、
鼠が子供を産める、(ってことは)人々が安心して生きられる豊かな時代の到来の願いを、
着賛したのかな、と思います。
鋭く、装飾性を排除した、非常に美しいお手です。
江戸時代初期の超有名絵師と高僧の合作優品。
軸装に虫食いがあり、表具裂の劣化、捲れ始めた部分がございますが、
本紙は極めて良いコンディションです。
古筆極め札、伊川院極め書他付
時代箱
¥350000
消費税・送料込




虫食い/ 軸先象牙

風帯コンディション

一文字裂が捲れ始めています

裏面
古筆極め札

伊川院極め書

他付随文状

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