径 約6,8㎝強
高さ 約6,9㎝
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元伯宗旦
天正6年(1578)~万治元年(1658)
千家3代
2代少庵と利休の娘の子
大徳寺111世・春屋宗園のもとで喝食として修業する。
文禄3年(1594)、秀吉が利休から召し上げた道具は宗旦に返され、千家は復興。
還俗しましたが、自身はその後藩主に仕えませんでした。
次男宗守は高松松平家に仕えさせ、武者小路千家、
三男宗左は紀州徳川家に仕えさせ、表千家、
四男宗室は加賀前田家に仕えさせ裏千家の、それぞれ祖となりました。
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覚々斎
延宝6年(1678)~享保15年(1730)
表千家6代
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古い時代の棗は、
後の時代のいわゆる棗の形よりも、蓋のエッヂが角ばっていて、
蓋が薄い姿をしています。
塗られた漆の表面にとても細かくちりちりと断紋が生じているのは、
古い塗り物の決定的な特徴の一つです。
この断紋は、人工的に作れません。
長い時間を経ることによってしか、生じないんです。
本作品の表面にも非常に細かい断紋が現れています。
画像では、感じていただき難いと思いますが、時間しか作れない断紋はとても美しいです。
奇跡的にほとんど目立った疵がありません。
身の口縁の一部分が、撫でるとザラっとしていますので、
塗直っているのかもしれませんが、目で見てもわかりません。
合口の面は、鋭く真っ平。
およそ350年前に作られたと信じがたい美しい姿です。
「文化遺産オンライン」に《黒漆塗棗 宗旦在判》(京都国立博物館蔵)が掲載されています。
本作品とほぼ同じ形・大きさです。
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蓋甲

蓋裏/ 宗旦花押
身裏

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箱蓋裏/ 宗旦判 御棗 宗左(花押)

箱裏


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チリチリ断紋拡大
