本紙 約118 ×31,5㎝
軸装 約184,2 ×43,4㎝
紙本
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松永耳庵
明治8年(1875)~昭和46年(1971)
本名・安左エ門
長崎県生まれ
福沢諭吉を崇敬し慶應義塾入学中退、
三井呉服店・日本銀行を経て貿易業を営んだのち
福博電軌鉄道を設立したことを皮切りに電力事業に携わり、
日本の近代化に大きく貢献した人。
戦争中には、
国家の電力管理政策に強く抵抗し、
「電力の鬼」と、異名されました。
60才の時に、鈍翁/益田孝の策で初めてお茶会をして
お茶にハマり、
たった三年で「茶道三年」を著わすほどの茶人となります。
書画骨董の師は魯山人ですが
後に大喧嘩して決別します。
大茶人、原三渓のお茶の愛弟子でもありました。
文化庁が購入しようとしていた平安仏画の傑作、
国宝《釈迦金棺出現図》を購入したことでも有名です。
心血を注ぎ、並み居る強豪を蹴散らして蒐集愛蔵された茶道具は、
東京国立博物館に寄贈されました。
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「忠孝和敬」
非常に美しく力強い清廉なお手です。
年記の昭和十五年、耳庵さん65才。
耳庵さんは60才でお茶を始め、たった三年で「茶道三年」を著わすほど、
僅かな時間で自身のお茶を確立します。
耳庵さんのプロフィールにも記しましたが、
耳庵さんをお茶に引きずり込んだのは、
この時代のハイクラス社会のお茶の中心に君臨した益田鈍翁。
ご維新で古い社会が崩壊した混乱期を好機と捉え、
新しい日本の社会・経済を作り上げ、
裸一貫から、己の力だけで天下を獲った経済茶人の鈍翁さんは、
自らのお茶を継ぐものとして、耳庵さんを育てました。
社会の未来を予想する優れた頭脳と、理想を実現する強固な意志、行動力。
恐れを知らぬ豪胆な気性、大きな器。
加えて、美術品に対するたぐいまれな目利き力。
似た資質があったのでしょう。
その鈍翁さんが鬼籍に入られたのが昭和13年末。
この「忠孝和敬」は、
鈍翁さんに捧げられた四文字ではないかしら。
晩年に大胆豪放に書かれた書と違い、
非常に謹直で熱い、若い耳庵さんの精神が筆に現れています。
シミ・折れが散見されます。
軸先象牙
無地誂え箱
¥230000
消費税・送料込


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シミ・折れのコンディション拡大
裏面

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