口径 約13,2㎝(一番広い幅)
高台径 約5㎝
高さ 7㎝前後
□
水谷川紫山 / 忠麿
みやがわしざん/ ただまろ
明治35年(1902)~昭和36年(1961)
貴族院議長・公爵近衛篤麿の四男。
(兄は内閣総理大臣を3度務めた近衛文麿)
春日大社宮司・男爵水谷川忠起の養子となり、華道御門流を再興。
貴族院議員を務め、陽明文庫の設立・運営に尽力。
春日大社宮司。
数寄者・文化人と茶の湯で深く交流しました。
□
吉井勇
明治19年(1886)~昭和35年(1960)
歌人として名高く、昭和23年の歌会始の選者も務めました。
「いのち短し、恋せよ乙女」のゴンドラの唄の作詞者。
京都の祇園を愛し、巽橋と大和橋の間の白河のほとりに、
「かくかくに」の碑が建てられています。
□
素朴な佇まいですが、非常にエレガントな作品です。
高台と、その脇に彫られた紫山の花押を避けて、
灰色の釉薬が全体に掛けられています。
ごりごりと粗野な土。
一方で、ピリッと緊張感のある高台、
付け根にぐるっと箆が一周回されています。
高台内の盛り上がりに、釉薬が垂らしてあるのも気が利いています。
底部から縁へ立ち上がる境目に、
はっきりとエッヂを設け、
その下に斗々屋茶碗のような平らな尻底が回っています。
口縁の縁は丸く、白い釉が厚く乗せられ、
垂れています。
この白い釉の垂れや、土から現れた鉄釉の点々が、
雪を感じさせたのでしょうか。
吉井勇が蓋裏に書いた一句は、
「寂しければ 大徳寺にもゆきて見つ
時ならぬ雪 降るか(が)まにまに」
作品 の釉薬はところどころ切れていて、
あたたかで柔らかげな茶色の土肌が顔を覗かせています。
吉井勇が、もう雪は降らないとおもっていた「時ならぬ」春の、
フカフカした土に降った雪に見立てて詠んだのでしょう。
勇は祇園で名を馳せた文化人ですが、
「大徳寺」が歌に入っているのが、お茶好きにはうれしいポイントですね。
水谷川紫山は昭和21年に春日大社の宮司となり、
その月釜会・寿月会は、松永耳庵・小林逸翁・田山方南・河瀬無窮汀ら、
文化人・数寄者の交流の場でした。
紫山の手による作品は、
さすが平安時代から最高家格の公家の生まれ育ちの
文化芸術への造詣の深さ、教養の遥か高いことを感じざるを得ません。
出鱈目なことが全くされていない。
煩い自己主張など全くない。
上品で心地よいお茶碗です。
箱の蓋表に「春日窯 紫山花押」が墨書きされ、
春日大社で作られた作品であることがわかります。
使用された痕跡がありません。
非常に出来の良い共箱に塗の二重箱が備わっています。
¥110000
消費税・送料込


□

水谷川紫山花押


「寂しければ大徳寺にもゆきて見つ 時ならぬ雪降るかまにヽ」
非常に出来の良い四方桟蓋

春日窯 紫山花押「忠麿」朱文方印


箱裏面
付属布

祇園白川・吉井勇 かにかくに歌碑
