◆玉皇香案吏◆

この「玉皇香案吏」朱文方印の捺された、制作年が一番若いと推定できる作品は、
《指墨怪鬼弾琴図》。
この《指墨怪鬼弾琴図》は、
東坡巾を頭に被った鬼が上が平らな岩に置いた琴を弾き、
阮咸を弾く小鬼、団扇で仰ぐ小鬼を前後に添え、後ろに大きなサボテンが描かれた、
異色の指墨画です。
「為龍居士勤指墨」と落款が書かれています。
「為龍」は大雅が18才~20才までの号です。
「為龍居士」は25、6才で使った号で使ったとされています。

大雅の書作品に

玉皇香案吏 畫圖人間開
當窓翠壡動 下筆蒼龍廻
羽客接歌唱 烟雲任去来
何識紅塵陌 甘此流霞杯

丞相府賜旨酒席上作 池

があり、

《玉皇香案吏》は、
この詩から取った言葉と考えられています。

この書作品の使用印は「雨笠烟蓑」朱文円印で、捺された作品の内、
款記により制作年がはっきりしているのは《梅花弧亭図》。
この時大雅27才、寛延2年(1749)で、
この印章の捺された他の作品は、遅くても30才代前期までの制作です。

27才で「」から「無名/ありな」へ改名していることと合わせて考えると、
上記の「玉皇香案吏」を含む自作の詩作品は27才までに書かれたと考えられます。

印章の使用された年代と文言の出典作品の制作年を合わせて、
「玉皇香案吏」印は、25,6才で彫られたと推察されます。

ところで、
この「玉皇香案吏」の《皇》の文字は、
最初は、「皇」の下部分「王」の字の、
真ん中の横画と、下の横画の間に《- -》がありました。

 
玉皇
香案

❶は、過去に弊店で扱った大雅の最初期の山水作品に捺された「玉皇香案吏」印。
この作品の落款は「池勤」でした。
「池勤」は、制作年の記された作品では28才までしか使われていないんです。

印章は、他に「池勤之印」白文方印と「公敏」朱文方印。
「勤」は20歳から27歳までの名前、「公敏」は同時代の字(あざな)です。
この作品は、大雅の初期作品に顕著な特徴、水平が斜めに描かれていました。

❶の「玉皇香案吏」印の「皇」の下部分「王」の字の、真ん中の横画と、下の横画の間には、
– - がありますね。

❷は弊店蔵の《風篁簫瑟図》に捺された「玉皇香案吏」印。
すでに - - がなくなり、
「王」の字の、真ん中の横画と、下の横画の間隔が不自然に長いです。
《風篁簫瑟図》の款記は「竹居」で、
「竹居」は20歳から27歳まで使った号の一つです。

参考作品◆池大雅筆 風篁簫瑟図◆

最初に挙げた《指墨怪鬼弾琴図》の図版(中央公論美術出版)の説明文には、
「玉皇香案吏」の「皇」に - - があると書かれていて、
図版をよく見るとその通り - - が確認できます。
これらを総合して考えると、
この印章は、作られた当初あった「王」の文字に加えらえれた - - を、
27歳までに削って普通の「王」に修正したことがわかります。
25~6才で作った印から、27才までに取っちゃったんですね。

池大雅作品集(昭和35年中央公論美術出版)掲載作品中で、
「玉皇香案吏」印の捺された一番遅い時期の作品は、
《遊山翫水図巻》と《蘭亭修禊図》。
共に明和二年(1765)、大雅43才。
40才代と推定される「玉皇香案吏」印の捺された掲載作品は、20点。

上記作品集掲載811作品に確認できた印章96顆の中で、
20才代から40才代まで使われ続けた印章は、
推定を含めて6つだけなんです。