本紙 21 ×25,6㎝
軸装 96 ×36,1㎝
紙本

江月宗玩 
(こうげつそうがん)
天正2年(1574)~寛永20年(1643)
号/ 欠伸子
大徳寺第156世

江月さんは
安土桃山時代、南蛮貿易で巨万の富を得た堺の豪商、
当時日本一の金持ちといわれた天王寺屋の次男として誕生し、
大徳寺龍光院(りょうこういん)の開祖の春屋宗園のもとで学びました。
父親は、大貿易商であっただけでなく、
織田信長や豊臣秀吉に、茶頭としても仕えた津田宗及(つだそうぎゅう)。
当時お金持ちは、跡取りでない子息をお寺に入れ
教養を身に付けるのが流行ったのだそうです。

春屋宗園は、
すぐに法嗣(ほうし/教えの跡継ぎ)である
江月宗玩に代を譲ったため、
江月さんは、龍光院の実質的な開祖です。

龍光院は開山以来
400年以上も一般には公開されていませんでしたが
2019年春に、
MIHO MUSEUMで開催された
「大徳寺 龍光院/ 国宝窯変天目と破草鞋」
によって初めてその至宝が公開されました。
約14万人が来館され、
これはMIHOさんの来館者数のレコードだそうです。

天王寺屋が、その財力と貿易商として得た
《唐物(からもの)=極上の宝物》の一部が
跡取りを病で失った天王寺屋から、龍光院に寄進されたのだそうです。
堺の町は戦で灰燼に帰し天王寺屋はなくなります。
龍光院に寄進されなければ
国宝の天目茶碗も、
やはり国宝の密庵咸傑(みったんかんけつ)の墨蹟も
この世に残ることはなかったんです。

江月さんはもともとは大金持ちのプリンス、
学問、禅の才能に優れ、
人としても優れた方で
当時の文化《寛永文化》の中心人物だったんです。
松花堂昭乗・小堀遠州・狩野探幽さんなんかと
とても親しかったそうです。

この作品は
江月宗玩さんの墨蹟。

「臨済小厮兒/りんざいしょうしじ]
は、
中国南宋時代に成立した禅宗の燈史
《五灯会元/ごとうえげん》巻四
「鎮州普化和尚」の中の五言絶句の一行です。

臨済は、中国・唐時代の禅僧・慧昭禅師の事で、
臨済宗の祖。

普化宗の祖・普化(ふけ)さんが臨済さんのことを
「臨済は洟垂れ小僧だ。(が、こいつはちょっと話せる奴)」
と言った言葉です。

普化という方は、
お寺を持たず、自由自在であったそうです。
その普化を非常に高く評価していた臨済さんを、
他の僧を認めていない普化も、
「臨済はまだ小僧だけど骨がある」
と評価した言葉。

細い紙いっぱいに書かれた
激しい勢いの一行。

所々、あまりにたっぷりの墨と筆圧の強さで
紙が撚れています。
江月さんの強い思いがぶつけられたように感じられます。

素晴らしい墨蹟です。

「厮」の字を横切る大きな傷みと
虫食い穴を墨で補修した跡がございますが、
作品の価値を損ねるものではありません。

表具にも傷みがございます。
画像でご確認ください。

軸先黒柿
無地二重箱

¥250,000
《消費税・送料込》

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臨済

この文字は真ん中辺りに、右上がり一文字に欠損部分があり、後補の墨画足されています。

江月筆臨済小厮児

向かって右の風袋の付け根が傷んでいます

 

五燈会元

 

裏面
  
軸先黒柿