本紙 35,6 ×47,1㎝
軸装 126 ×49,6㎝
紙本墨画
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江月宗玩
(こうげつそうがん)
天正2年(1574)~寛永20年(1643)
号/ 欠伸子
大徳寺第156世
江月さんは、
安土桃山時代、南蛮貿易で巨万の富を得た堺の豪商、
当時日本一の金持ちといわれた 天王寺屋の次男として誕生し、
大徳寺龍光院(りょうこういん)の開祖の春屋宗園のもとで学びました。
父親は、大貿易商であっただけでなく、
織田信長や豊臣秀吉に、茶頭としても仕えた、
津田宗及(つだそうぎゅう)。
当時お金持ちは、跡取りでない子息をお寺に入れ
教養を身に付けるのが流行ったのだそうです。
春屋宗園は、
すぐに法嗣(ほうし/教えの跡継ぎ)である 江月宗玩に代を譲ったため、
江月さんは、龍光院の実質的な開祖です。
江月さんは
もともとは大金持ちのプリンス。
学問、禅の才能に優れ
人としても優れた方で
当時の文化《寛永文化》の中心人物だったんです。
松花堂昭乗・小堀遠州・狩野探幽さんなんかと
とても親しかったそうです。
この作品は
江月宗玩さんの墨蹟。
強い一筆で富士山が描かれます。
左から右へ曳かれる裾野。
東名高速の
富士川SAから見る富士山によく似た姿です。
江月さんは、紫衣事件の時に、
東北に流刑になった兄弟弟子の
玉室宗伯さん、沢庵宗彭さんの赦免を
将軍家光に乞うために江戸に赴いていますので、
実際に見た富士の姿だと、思うのです。
それは、
この作品の紙に、継ぎ目があることの不思議と
整合性があるんです。
江月さんは、身分の高い高僧であり、
元々大金持ちの出生。
この程度の大きさの
一枚の紙が手に入らない訳がありません。
しかし、旅先、
しかも、親しい人を助けるための切迫した事情の旅の途中であったなら、
十分な物資が手元になかったことも頷けます。
この富士山の姿は、
実際に《見て》、
その感動か描かれていると、
私は思います。
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士峰名冠我王畿
古今誰争絶是非
君指山形為雪笠
三千刹界一簑衣
江月叟画賛
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上質な墨で、
江月さんらしい
力のある、直線的な右上がりのお手。
友人を救うために東下りする旅の途中、
すっかり雪の笠を被った名峰の圧倒的な姿は、
江月さんの中で、
一つの蓑衣=仏の力で、すべて世界を覆う姿に重なったのかもしれません。
その富士の姿と
その場で七言絶句に詠んだ詩と、
私は考えます。
「欠伸年譜草」
によると、
江月さんが江戸に下ったのは、春と冬。
富士山が冠雪している季節です。
あと箱
本紙・軸装に折れ、汚れがございます。
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