縦 約33,5㎝
横 約79,5㎝
紙本
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益田鈍翁
嘉永元年(1848)~昭和13年(1938)
本名・孝
佐渡の幕臣の家に生まれ、聡明慧敏な頭脳、勇敢で向上心に満ちた豪快な人柄で、
三井物産を設立し、繁栄させた三井財閥のトップリーダー。
ご維新後の日本を近代化に導いた経済界の巨星の一人です。
同時に、
日本の古美術、とりわけ最高峰の仏教美術を
茶の湯に取り入れた近代無双の大茶人です。
江戸幕府から明治政府へと世の中が激変し、
それまでお茶の庇護者であった各地の殿様達に代わって、
新たに支配階級に君臨した新興経済人達が
お茶の庇護者となりました。
その中心、
太陽が鈍翁さんです。
当時、お茶は政財界のトップリーダー達の、
最高の社交の場であったんです。
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本作品に書かれた《平心》は、
鈍翁さんにとって特別な二文字であったと存じます。
元となった作品は、清拙正澄の墨蹟《平心》です。
清拙正澄(せいせつしょうちょう)は、
鎌倉時代末期に中国から日本に招かれた渡来僧。
鎌倉の建長寺・円覚寺、京都の建仁寺・南禅寺などの住持となり、
禅の教えを伝えました。
最高の中国の学問・文化を日本に伝えた最高の高僧。
その遺偈は国宝です。(常盤山文庫蔵)
この清拙正澄墨蹟《平心》は、
寛永13年(1636)、将軍家別邸品川御殿における御成茶会の褒美に、
小堀遠州が徳川家光から賜ったお品でありました。
この宝物を所蔵されることとなった鈍翁さんは、
本邸を将軍家別邸の跡地、品川御殿山に構えていたんです。
明治45年(1922)に、遠州御成再現茶会をされています。
天下人家光が、遠州に与えた墨蹟を床に、
同じ地で、茶会をする。
鈍翁さんの得意、喜びは、想像に難くありませんね。
鈍翁さんは己の力だけで、天下を取った方です。
1983年日本経済新聞社発行の「益田鈍翁展」の図録には、
(於三越本店三越ギャラリー)
本作品ととてもよく似た字姿の「平心」が掲載されています。
31,3 ×65,2㎝とありますので、本作品とほぼ同じ幅です。
オリジナルは、現在所在不明となっています。
淡交社「マボロシの茶道具図鑑」(依田徹著・2019年)に、
清拙正澄のの「平心」の写真が掲載されています。
《平心》は、正澄さんが弟子に与えた道号を書いた二文字です。
名前を与えることは、「私が認めました」の証で、
一緒に与えた偈頌があり、
そちらは高松松平家に伝わって、現在は香川県立ミュージアムがご所蔵です。
重文です。
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本作品は軸装されていない作品です。
紙のままです。
鈍翁さんと親しい間柄であった方のご所蔵品でした。
直接もらったのでしょう。
左右の角の傷み具合から、画鋲で刺して、
長く壁に飾られていたものと推察されます。
一本上下を貫く折り痕と、ほかにも折れが散見されます。
画像でご確認ください。
汚れは全くございません。
雲母の撒かれた特別な料紙です。
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