長 約18㎝
兜巾型櫂先・丸撓
本樋・一本樋
直腰・中節
三刀

池田瓢阿
初代/明治14年(1881)~昭和8年(1933)
二代/大正3年(1914)~平成15年(2003)

益田鈍翁の依頼で、名物道具の籠の写しを制作し、
その出来の良さから《瓢阿》の名を鈍翁さんから賜った人。

千家二代・少庵(天文15/1546~慶長19/1614)は、
利休の後妻の連れ子で、利休の娘婿でもありますね。
利休の切腹を実人生で体験し、
家が取り潰された後、会津の蒲生氏の庇護下に身を潜めていた方ですので、
赦免されて道具を返却され禄を賜ったあとも、
表に出る派手な生き方をされなかった。
ですので、少庵が名前を残した作品、
《私が作りました、エッヘン》的なお品は少ないのだそうです。

光の加減でようやく見えるほどに奥床しい「少庵好夜桜棗」一つとっても、
その生き様、人生哲学が推し量られます。

高原杓庵編・茶杓三百選には6本の共筒の少庵作品が掲載されています。

本作品は飴色の竹に拭き漆が施され、
中節で櫂先は左肩落とし(櫂先の頂点が右寄りで左側の傾斜が際立つ)。
切止は三刀ですが、
側面の一刀はルーペで見ないとわからないほどかすかですので、
ほぼ二刀。
これは、桃山~江戸初期の茶杓に多い姿です。

茶杓三百選に掲載の茶杓で、
本作品のように節に瘤のある作品はありませんでした。
ご教示くださった数寄者の推察では、
「瓢阿に写し(制作)を頼んでいるということは、関東の数寄者鈍翁周辺が所持していた茶杓の可能性が高い」
興味深い推察です。
どこぞのお蔵に、本歌の少庵が眠っているのかもしれません。

少庵作の共筒の茶杓を持つことは、かなりハードルが高いですが、
利休-少庵のお茶に通じた鈍翁さんやその周りの数寄者たちの気配を感じられる本作品なら、
お手元で愛蔵していただけ、
昔の人の想いに触れることができますでしょう。

総削りの筒の表面に、割れ始めがございます。
中まで通ってはいません。
画像をご確認ください。
ラップを巻いて保管されると良いです。

共筒・共箱
¥132000
消費税・送料込

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ご教示くださいました数寄者Y氏に深くお礼申し上げます。

池田瓢阿作少庵うつし茶杓


   




 

   
箱蓋表/ 内/ 箱裏

ほんのり甲盛の蓋、さすが瓢阿の仕事です