約18,6㎝
剣先型櫂先・丸撓
逆樋・一本樋
直腰・中節
四刀
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根津青山
本名/嘉一郎
万延元年(1860)~昭和15年(1940)
明治・大正・昭和の日本の政財界のトップリーダー。
益田鈍翁を頂点とする経済数寄者の中心人物の一人。
その広大な邸宅と庭園、4つの茶室が現在の根津美術館であることは、言うまでもありません。
日本の鉄道王と呼ばれ、負けん気が強かったことで知られています。
現在重文の《花の白河硯箱》を購入したことをきっかけに、
超一流の古美術品・古書画の蒐集に情熱を注ぎます。
鈍翁さんやその周辺の人たちによって、大正7年、初めてお茶会をしたことからお茶に魅了され、
数々の茶道具の逸品をコレクション。
その遺志によって、根津美術館は設立されました。
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末川清香
昭和2年(1927)、株式会社資生堂設立の時の取締役の一人。
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皮の表側だけでなく、中まで色が濃い黒竹(紫竹)から削られています。
生えていた時と同じ向きの逆樋。
枝の付いた痕跡の凹みが深く、洞(うろ)のようにえぐれて、
樋が深いです。
丸撓めとしましたが、撓めの裏に竹の繊維が切れた様子も少し見え、
ちょっと折った感じでもあります。
切止はスパッと綺麗に切られています。
茶杓は、茶人にとって武士の刀に匹敵する存在。
その出来には、その人の人間性や成熟度、芸術への親和性が現れます。
この茶杓の制作者は、心が強くまっすぐで、老獪さのない人に思えます。
箱の蓋表に「茶杓」、
箱の裏に「末川清香自作」と同じ筆跡で墨書きされています。
筒の表に「笑門」と書かれ、根津青山の花押が記されます。
蓋裏に「應需銘 青山」。
これは間違いなく根津さんの文字と、花押。
このことから、
末川清香氏が自身の作られた茶杓と筒に、
根津さんに銘をつけてもらって、筒書き・箱書きしてもらったことがわかります。
経済人の茶の湯を通した交友が垣間見えますね。
根津青山が花押を記したお品の出現は非常に稀です。
また、《笑門=笑う門には福来る》。
これ以上なく良い銘です。
注連縄を表わす言葉でもありますので、これからの季節、初釜にも最高です。
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箱表/ 裏
筒布

