径 約6,5㎝
高さ 約6,6㎝
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七代中村宗哲
寛政10年(1798)~弘化3年(1846)
六代宗哲の弟
尾州徳川家から「得玄」の称号を拝領されています。
「漆の美 中村宗哲家の歴代」(淡交社刊)に、
「代中もっともすぐれた作振りで堅緻清澄、(中略)技倆は抜群である。」
とあります。
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認得斎
裏千家十代
明和7年(1770)~文政9年(1826)
裏千家九代不見斎の長男
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本作品の底の裏には、朱漆で
「弘化三丙午春
今日庵水屋
常什 宗哲
写 花押」
と書かれています。
薄く削った木の板を《折って》《撓めて》成型し、
和紙を張って漆を施しています。
内側を見ると、どうやら胴部分と丸い底部は別々に作られ、
繋ぎ合わせてあるようです。
底から立ち上がった丸みにはたくさんの、
真っ直ぐ立ち上がった胴部分には空間を開けて、
チョ、チョっと削られたへぎ目が施されます。
蓋の甲部分にはシューっと長いへぎ目が施されます。
二枝をしなやかに撓ませた細い柳から、幾筋もの枝が垂れています。
素晴らしい蒔絵の手腕!
繊細を極めた無数の柳の葉。装飾的な幹の姿。
ほんのちょっぴりのためらいもなく金蒔絵で描かれます。
更に、点々と銀鋲が打たれています。
粗野な雰囲気の成形に、素晴らしくエレガントな装飾。
天才的なトータルバランスです。
正円ではないために、合口がきっちりしていないんですが、
これは、認得斎が今日庵の水屋に緩い合口の棗を置いて、
柳の枝の絵で合口を正しく合わすことで弟子の心を試された、のだそうです。
「漆の美 中村宗哲家の歴代」(淡交社刊)の七代宗哲のページに、
ほぼ同じ姿かたちの作品が掲載されていて、
所載作品は天保11年(1839)に作られたとあります。
本作品は底の朱書き「弘化三丙午」によって、
それより6年後の1846年、
ちょうど今年から3周前の丙午の年に作られたことがわかります。
非常に残念ながら、
底の膨らみ部に割けたような傷みがございます。
写真に写せませんので、実際に現物をご覧いただきたく存じます。
共箱
¥275000
消費税・送料込





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底裏朱書き

内側/ 蓋内側
箱蓋表
箱底裏



包布
傷み部分

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箱蓋裏に小さな虫食い有り
