本紙 約132,6 ×33㎝
軸装 約222 ×45,5㎝
紙本

大谷心斎(尊由)
明治19年(1886)~昭和14年(1949)
浄土真宗本願寺派第21世・大谷光尊の四男
本願寺執行長・管長代理などを歴任
大谷探検隊を財政面で援助
第一次近衛内閣で、拓務大臣
西本願寺内で「文如忌茶会」を主宰
「光悦会」の三代目会長を務め
「東の益田鈍翁、西の大谷尊由」と称えられました

茶遇知己喫

虚堂録(きどうろく)の
詩向快人吟/ 詩は快人に向かって吟じ
酒逢知己飲/ 酒は知己に逢うて飲む

「酒」を「茶」に充てた言葉とされています。

「お茶は、自分をよくわかってくれてるほんとに親しい人と喫するのがいいよね」

虚堂智愚(きどうちぐ/1185~1269)は南宋時代の禅僧。
日本からもたくさんの僧が海を渡って参禅した高僧です。
その墨蹟「破れ虚堂」(国宝)は、
武野紹鷗や松平不昧公のご所蔵を経て現在は東京国立博物館にあります。

尊由さんの書はとても活発。
特に「茶」は耳の長い兎が跳ねているように躍動的です。
「遇」は連綿と書かれ筆が走っています。
たっぷりとした墨。
「ノッて」書いた感じです。

本紙自体の長さが約132,6 ㎝。
軸装に至っては上から下まで2m20㎝以上あり、とても大きいです。

これは私の感覚ですが、エライ人の書く作品は物理的に長いモノ、的な印象です。
中国明時代末から清初の書画は長条幅といって長いのが多いです。
当時、書画を嗜むのは権力の中枢を担う高級官僚たるべき者の必須教養で、
素晴らしい芸術家は、同時に国を動かす身分の人達でもありました。
為政者は、学問だけでなく治水、書画・詩作・楽器の演奏も学び、
良い国にしていくために、そのすべてを活かして人々を導ける存在でなければならなかったのです。

当時、紙も絹も墨も高級品でした。
たっぷりと贅沢に使えることは、経済的に豊かな証でもありました。

本作品を書かれた大谷尊由さんも、
特別な家柄の生まれ育ち、文化芸術の中枢を担う生き方をされた方。

それが、作品の大きさに現れているように思います。

ところで、本作品の箱には旧蔵者の筆によるメモが入っていました。
「茶遇知己喫」
《茶に遇っては喫する己(のみ)を知るべし》
と書かれています。

通常の解釈と全く違う意味に捉えています。
この解釈も、お茶を愛する者には非常に深い意味を持っていますね。
「己」を「已」と読んだ一行。
作品をどう捉えるか、どう向き合うかは人それぞれ。
旧蔵者の生き様のうかがえる紙片です。

光悦会の会長も務められた尊由さん的には通常の意味、
「誰と飲むかがイッチ大切!」の気もしますが、
「お茶に意味なんかない、ただ一服を味わう一瞬を大切にすることのみ」
の、旧蔵者の解釈、私はしっくりきます。

誂え無地箱

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一文字裂は良い竹屋町

本紙に折れがございます

 
箱に汚れがございます