既に今年も五月半ば。
6月が来たらあっという間に7月です。
七月のひと月は、京都は祇園祭一色の一か月です。
祇園祭は平安時代に災厄退散を願って始められたといわれています。(諸説あり)
清和天皇貞観11年(869)、疫病が蔓延した時、
「占部日良麻呂が勅を奉じ、六月七日66本の矛を建て、その長さ二丈ばかり、
十四日には洛中の男児および百姓を率いて神輿を神泉苑に送って祭りを行なった。」
と、祇園社本縁録に記事があるそうです。
観光的に絶大な人気があるのは、山鉾巡行ですが、
祭礼の最も大切な行事は、前祭り山鉾巡行の済んだ7月17日の夕方、
祇園社に祀られている、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)・八柱御子神(やつはしらのみこがみ)が、
それぞれのお神輿に乗って祇園社から四条の御旅所までお出ましになる《神幸祭》と、
祇園社にお帰りになる7月24日の《還幸祭》です。
◆
作品❶


◆岸良筆 祇園祭祭礼図小屏風◆
右隻には面頬(めんぽお)をつけ扇子を持った武者姿。
これは祇園祭の神幸祭(7/17に三基の御神輿が八坂神社から四条の御旅所まで巡行)で、
中御座神輿(素戔嗚尊のお神輿)の先導を行列する・弦召(つるめそ)。
本金箔を貼った地に着色で描かれています。
夏の一番暑い盛りに、
重く風通しの無い鎧を着けて、歩いて行列しなければならない、
もの凄くキツい役割であったこと、
汗で傷んだ鎧の修復にお金がかかることなどから、
昭和49年を最後に、行列から姿を消した幻の役柄でしたが、
昨年・平成7年に弓矢町の武者行列が、神幸祭・還幸祭で復活されました。
弦召(つるめそ)は、江戸時代~明治の祇園祭の代表的な風物詩。
様々な絵師によってその姿が描かれています。

左隻は真ん中に二本の細長い青竹が描かれ、間に注連縄が張られています。
祇園祭のハイライトの一つは、
毎年先頭を巡行する薙刀鉾の上のお稚児さんが注連縄を切るシーン。
ニュース映像などでもよく使われていますね。
この注連縄は、二本の青竹の間に張られています。
神様の聖域の結界です。
左隻の一番右の扇には薙刀鉾の天辺が見えていますでしょう!
これから注連縄が切られる、祭りの見せ場が始まる場面が描かれているんです。
左隻は華やかな山鉾巡行の始まり、
右隻は、八坂神社の神様がお神輿で御旅所へ移動される、
実は祇園祭の一番大切な神事の先駆け役、その当時「祇園祭といえば」の名物「弦召」。
祇園祭で一番盛り上がる二つの場面を切り取っています。
祇園祭に行かれなくても、その雰囲気を味わえる素敵な調度品です。
作者の岸良(がんりょう/寛政10年~嘉永5年)は、
江戸時代後期の京都を代表する絵師・岸駒(がんく/宝暦6~天保9/岸派の祖)に学び、
岸駒の息女の後婿となった絵師。
パリのギメ東洋美術館・醍醐寺にもその作品が所蔵されています。
¥600000
消費税・送料込
◆
作品❷

◆五代清水六兵衛作 御本孔雀茶碗 野村得庵絵◆
祇園祭の山鉾巡行で、毎年行列の先頭を行く長刀鉾に乗るお稚児さんが、
頭に飾る孔雀の羽根を茶碗に描き込んでいます。
わかる人にだけわかる、お洒落な意匠です。
茶碗の底と縁に桃色が綺麗に発色し、所々に斑紋が出ています。
孔雀の羽根が二本、茶碗の側面を半周するように描かれます。
軸は描かれず、ひらひらとした羽根の一本一本を密に描いて、
残された空間が連続することで、軸の存在を現しています。
繊細な優しい表現です。
同じ呉須で添えられた花押は、近代数寄者野村得庵の花押。
野村得庵(明治11年~昭和20年)さんは、
27歳で家業の両替商を継ぎ、銀行・証券会社を興し、野村財閥を築いた大実業家であると同時に、
この時代の大茶人の一人。
当時相次いで行われた、大名や素封家の入札会で、
茶道具の名品を破格の値段で落札、蒐集し茶会を催されました。
正式な茶会だけで、502回であったそうです。
京都の別邸・碧雲荘は現在重要文化財。
小川治兵衛作庭。
いうまでもなく、野村美術館は、得庵翁の収集品の美術館です。
茶碗を作ったのは、五代清水六兵衛(明治8年~昭和34年)。
江戸時代から続く清水焼の陶工・陶芸家。
一見竹の節高台ですが、下から上に斜めに巡り、
茶碗本体との境目に深く溝を入れキリリと一線を画しています。
また、高台内も大胆な箆使いで成型され、兜巾が現れています。
素晴らしい造形です。
¥80000
消費税・送料込
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作品❸

◆池大雅筆 弦召(つるめそ)図◆
つるめそは(弦召は)
其日おとしの(その日威しの)
よろひきて(鎧着て)
はたにはあせの(肌には汗の)
くさりかたひら(鎖帷子)
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弦召(つるめそ)は、作品❶の小屏風でもご紹介しましたが、
江戸時代~明治の祇園祭の代表的な風物詩。
「祇園祭といえば」の名物で、様々な絵画に描き込まれています。
これは大雅が描いた祇園祭。
大雅が京都の年中行事を描いた作品は少なく、
非常に貴重な作品です。
甲冑が暑くて、先頭の人物は扇で仰いでいますね。
「その日威し」は、
祇園祭に参加する人々が、祭りのため俄に(鎧を)誂えたことを表現したと推察されます。
「霞樵」
《大雅主人》白文小方印
《池橆名印》朱文方印
無地時代箱
◆
池大雅
享保8年(1723)~安永5年(1776)
諱/橆名(ありな)・勤
字/貨成・公敏
号/大雅堂・三岳道者・霞樵・九霞、他
京都に生まれ活躍した、絵師で書家、文人。
当時、応挙・若冲と並ぶ、大人気アーティストです。
20才代ですでに名声が高く、
旅が好きで日本各地を旅したため、
日本各地に大量に贋物が存在しています。
近世の絵師で、
国宝・重要文化財に指定されている作品は大雅が最も多いことは、
現在ではあまり知られていません。
文化庁にも数多くの大雅作品が収蔵されています。
川端康成、梅原龍三郎、谷川徹三ら
一流の文化人、画家たちも大雅に魅了され、
その作品を愛藏されていました。
国宝に指定されている「十便十宜図」は川端康成さんの旧蔵品です。
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