本紙 116 ×28,5㎝
軸装 191 ×30,8㎝
紙本

益田鈍翁
嘉永元年(1848)~昭和13年(1938)
本名・孝
佐渡の幕臣の家に生まれ、聡明慧敏な頭脳、人柄で、
三井物産を設立し、繁栄に導いた三井財閥のトップリーダー。
ご維新後の日本を近代化に導いた経済界の巨星の一人です。
同時に、
日本の古美術、とりわけ最高峰の仏教美術を
茶の湯に取り入れた大茶人です。

2019年に京都国立博物館で特別展の行われた
「佐竹本三十六歌仙」を、
巻子(かんす)から断簡へ切り分けた方としても有名ですね。

江戸幕府から明治政府へと世の中が激変し、
それまでお茶の庇護者であった各地の殿様達に代わって、
新たに支配階級に君臨した新興経済人達が
お茶の庇護者となりました。
その中心、
太陽が鈍翁さんです。

当時、お茶は政治経済のトップリーダー達の、
最高の社交の場であり、
愉しみであったんです。

この書は、

「竹霰」

竹の葉にあられふるなり
さらさらに
独りは寝べき心地こそせね

和泉式部の一首からの言葉です。

いとしい人を思って寝むれない夜、
霰が降って、竹の葉がさらさら音を立て、
更にさらに眠れません

鈍翁さんの書いた「竹」の字は、
とっても珍しい書体です。

この書には、
藤原銀次郎夫人が書いた手紙が附いており、
「お祝いのしるしに益田孝氏筆竹霰の一行を」
と書かれていて、
その文字が「竹」とわかります。

藤原銀次郎(1869~1960)は、
三井財閥で鈍翁さんの部下でもあり、
鈍翁さんの勧めでお茶を始め、
《暁雲》の茶名で知られた数寄者です。
数々のお茶に関する著作をし、茶道具の名品を蒐集されました。
鈍翁さんから暁雲へ、
暁雲からその関係者に伝来した作品でしょう。

鈍翁さんにも、
眠れぬ夜を過ごすほど、胸に秘めた人があったのでしょうか。

それとも、
それは、欲しくて堪らない茶道具か掛物であったのでしょうか。

私は、モノであれ、人であれ、
その対象への情熱の量は、同じだと思っています。

うなるほどお金もあった、
国宝も持ってた、
地位も名誉もあった鈍翁さんの胸の中に、

想い人があったとしたら。

この「竹」の最後の一画の長さに、
鈍翁さんの想いの強さが現れています。

オリジナルの箱は蓋が失われていたため、
蓋を誂えました。
もしかしたら、表世間には出せない、
鈍翁さんの想い人の名前が「為〇〇様」とか蓋に書いてあって、
敢えて処分されてしまった、とか、
想像が膨らみます。

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益田鈍翁筆

一文字竹屋町

 


箱の皮紐は切れています