本紙 約110× 27㎝
軸装 約191× 29,2㎝
紙本淡彩
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青木夙夜(あおきしゅくや)
?~享和2年(1802)
江戸後期の京都の画家
名/俊明
朝鮮・余璋王の後継を自称し、「余夙夜」と名乗りました。
池大雅の生涯の友人・韓天寿の従兄弟で、大雅の門人の一人。
(韓天寿も余璋王の後継・末裔を名乗って、「韓」としたんです)
大雅の遺品や作品を守る《大雅堂》を管理した人です。
大雅堂2世を名乗りました。
池大雅が、たくさんの門人たちにとても慕われていたことは、
奥さんの玉蘭が亡くなった後、
門人たちが大雅堂を建て、
大雅の作品だけでなく、愛用の机や筆、
大雅が大切にしていた如意輪観音像や厨子をも
代々守り伝えられていたことからも、想像に難くありません。
この作品の作者・青木夙夜は
大雅堂2世を名乗り大雅堂を守っただけでなく、
寛政12年(1800)に、大雅の二十五回忌追善会を他の弟子と3人で主催しました。
二十五回忌って凄いですね!
夙夜がどれほど大雅を思慕していたかわかります。
ちなみに
この追善会の案内状は廻状で、
(あらかじめ出席してほしい人の名前が列挙されていて、回覧された)
呉春・円山応瑞・伊藤若冲の名前も列挙されています。
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本作品は、夙夜の描いた利休図。
大雅は禅僧であった売茶翁と親交が深く、
抹茶というより煎茶文化とかかわりが強い印象です。
茶の湯は禅にその基を置いていますが、
売茶翁は、当時の茶の湯の形式化・俗化を批判の精神で受け止め、
煎茶によって、問答したんです。
大雅による売茶翁図はありますが、
利休図はありません。
大雅を強く思慕した夙夜の、利休図。
珍しいです。
賛は
點茶立法
鈍置殺人
誰知一啜
直見天真
淡海散人題
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「淡海散人」は夙夜の別号になく、
調べると、元禄元年に「淡海記」書いた、原田蔵六の号でした。
印章は
「八岳山人」朱文方印
「餘氏夙夜」白文方印
で、どちらも夙夜のもの。
原田蔵六の詩文を夙夜が書いたのか、
確実なことはわかりません。
茶道の今の姿は
人をダメにしているな
誰でも知ってる一啜りは
生きることを真っすぐ見ることだ
と、私は読みました。
間違っているかもしれません。
利休を描くことで、
利休の茶に帰れ、とあらわしているように思えます。
非常に、大雅の画に似ています。
眉から鼻へつながる薄い線の描写、
大きな耳たぶ、渇筆で擦るように書かれた髭など、
ぱっと見、大雅の描く人物ですが、
やはり筆が硬い。
夙夜の山水画は、大雅と似ても似つかぬへたっぴな筆なんですが、
本作品はかなり良い画です。
人物は得意であったのか、
大雅亡き後、修練を重ねたあとの筆なのか。
興味の多い一幅です。
款記は「夙夜」
「餘俊明印」白文方印
平尾竹霞
安政3(1856)~昭和14(1939)
京都で活躍した南画家、京都画壇の重鎮
大正12年墨書き箱
上質な竹屋町裂一文字風帯
象牙軸先
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消費税・送料込
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象牙軸先
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