胴径 約5,8㎝
高さ 約6㎝

吸江斎
文政元年(1818)~万延元年(1860)
表千家10代
9才で家元を継ぎ、紀州徳川家10代治宝(はるとみ)公に仕える。

二代住山楊甫
天明2年(1782)~安政2年(1855)
表千家9代了々斎にお茶を学び、
了々斎没後に10代吸江斎の後見役を務めた茶人。

一閑作品は、本来の紙を貼り重ねて成型して漆をぬった製法の品と、
木材を薄く削って成型し、漆を塗った製法の2つがあります。
本作品は前者の紙によって形が作られた作品です。
紙で成型された特有のたどたどしい姿が、非常に良いです。
手取りがとても軽いです。

内側は、塗られた漆が乾く時の皺や、
経年によって生じた、紙と漆のコンディションの変化による表面の劣化や
重ねられた紙が浮いた状態の部分がございます。

棗の蓋裏に吸江斎の花押と「左」の在判。
箱の蓋甲は真ん中に「一閑張 小棗」と墨書きされ、左下に「飛来一閑」小判印、
蓋裏は「吸江斎名判 一閑小棗 吽ゝ(花押)」と書かれています。

蓋裏に書かれた「吽ゝ」は、二代住山楊甫の号、花押も楊甫で間違いありません。
表千家の家元となった時まだ少年だった吸江斎の後見を務めたのが二代住山楊甫です。
吸江斎の在判を、二代楊甫が極めるのは自然なことですが、

棗そのものの裏に書かれた朱書きは、
竟求一閑のマークで、飛来一閑家のそれと違っています。
竟求一閑は、浪花一閑とも呼ばれ、飛来家から分家した職人家らしいですが、詳しいことはわかりません。

吸江斎も楊甫も「一閑張」「一閑」と書いていて、
飛来一閑とは、書いていません。

また、真ん中に墨書きのある蓋の表に、職人が自分の判を記すのもおかしなことです。
この場合は、箱の裏に記すのが普通です。
墨書きと印のバランスも近すぎて不自然です。

ですので、蓋表の「飛来一閑」小判印は後から捺された印と推察されます。
棗は飛来一閑作品でなく、竟求一閑作品でしょう。

「千家十職」の名称は、大正時代に三越大阪店で開催された
「千家十職茶器展覧会」で初めて使われ、ブランド化しました。

本作品は竟求一閑の小棗に吸江斎が花押を朱書きし、二代住山楊甫は極めた箱に、
あとから《千家十職ブランド》となった飛来一閑印を加えた作品と考えます。
「飛来一閑の方が、ただの一閑張作品よりハクが付くからつけよう」
と考えた煩悩のなせる業。
人間らしくて面白い。
現代社会では、白黒、真贋をはっきりさせることが正しい、とされていますが、
おおらかに物事を受け止め、
隙間や間違いを楽しむ余裕も、人生を豊かにしてくれるのではと、私は考えています。

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一閑張小棗吸江斎在判
一閑張小棗 吸江斎在判二代住山楊甫極箱 

蓋裏
身内側
 
箱蓋甲/ 蓋裏
一閑張小棗 吸江斎在判二代住山楊甫極箱



箱裏