本紙 約24,6 × 54,5㎝
軸装 約105 × 56,5㎝
紙本

澤庵宗彭
(たくあんそうほう)
天正元年(1573)~正保2年(1646)

たくあん漬けの澤庵さんです。

戦国の世の覇者・徳川幕府の成立によって、
それまで朝廷との関係で確立していた大徳寺・妙心寺の決まり事や朝廷の権利が、
幕府将軍によってはく奪されます。
それに正面から抵抗した澤庵ら高僧たちは、京都から遠い本州最北の地に流されます。
ですが、流されて関東に滞在していた澤庵さんに帰依した将軍家光によって、
澤庵さんらが、許され京都に戻った後、
失われようとしていた秩序・権利は回復されます。

とてもざっくりいうと、
「オレがこの国の頂点だ、オレの言うことをきけ」
と言っていた将軍が、直接会って交友するうちに、
「沢庵禅師は凄い方だ。この方の教えについていこう」
ってなったわけです。

慧玄蔵主為
大燈師使天龍
師教今問金翅鳥
王當宇宙天龍出
○何處玄己聞
師之教出玄及半
金頂師云
夢窓定玄可蔵身
玄禮拝則可也玄
以教問夢窓屏風
陰蔵身玄展坐具
禮拝

玄○演使之旨
大燈問夢窓之応処
以上演大燈云你如何
玄演件事大燈吽ゝ
可埋作者千里同帰

本文に何度も出てくる《大燈》大燈国師/弘安5年(1283)~1338は、
宗峰妙超。
鎌倉時代、中国南宋から渡来した高僧によって、
最高峰の禅がもたらされ、
日本の文化・学問・政治のすべての根幹となりました。
その渡来僧・虚堂智愚(きどうちぐ)の法嗣(はっす・ほうし/法を受け継ぐ正式な跡継ぎ)である、
大応国師の法嗣で、
大徳寺の開山(初代)です。

冒頭に記される《慧玄》は、
関山慧玄(かんざんえげん/建治3(1277)~延文5(1361)。
花園法皇がその離宮を禅寺(妙心寺)とするときに、
重篤な病の大燈国師から推挙され、その開山となった方です。

澤庵さんは、桃山時代から江戸前期の臨済宗の高僧。
大徳寺153世住寺。
大徳寺開山の大燈国師、大燈国師の直系慧玄禅師をどれほど崇尊されていたか、
想像を絶します。

文頭に記しました通り、
その法系の格式は、幕府の支配も及ばないものであることを表明するために、
流刑も厭わなかったほど。
口でいうのは簡単ですが、時の権力者に逆らうことは、最悪死罪。
凄い精神力です。

文中に出てくる《夢窓》は、
夢窓疎石(むそうそせき/建治元・1275~1351)は、大燈国師らとほぼ同時代の臨済宗の僧。
後醍醐天皇、足利尊氏の崇尊を受けました。
天龍寺の開山。

江戸時代初めに生きた沢庵さんが、
およそ300年前の大先輩たちのことを、書いています。

慧玄蔵主の為に
大燈国師が天龍師(夢窓)をして教えを問う

書かれた内容を正確に理解することはできませんが、
《金翅鳥王》金色の羽根の鳥の王
《宇宙》
それだけで、わくわくしませんか。

更に、
この作品の蓋裏には
「天保八年丁酉(1837)仲冬感得之以納芳春院~
松月宗宇識」
とあります。

宙宝宗宇は大徳寺418世。
大徳寺塔頭芳春院にいた方です。

元々芳春院のご所蔵であったお品が、流出したものと考えられます。

表具などに虫穴が多く、
良いコンディションとはいえませんが、墨蹟ははっきりと残っています。

箱のコンディションも良くありません。
画像でご確認ください。

¥250000
消費税・送料

◇お問合せフォーム◇

◆お買い物の流れ◆

◇営業予定◇

◇facebook◇
◆Instagram◆

 

澤庵宗彭偈慧玄蔵主為





背面
  
背面巻き止

 


蓋の四方の側面が欠損しています