本紙 103,8 ×36,1㎝
軸装 193 ×50,2㎝
絹本著色
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柳里恭(りゅうりきょう/柳沢淇園)
元禄16年(1703)~宝暦8年(1758)
綱吉幕府大老柳沢吉保に寵愛を受けた家老の次男として生まれ、
学問も教養も当時の最高の教育を受けられる環境にあって、
それを身に付け昇華できた才能豊かな人でした。
将軍吉宗の時、大和国郡山藩に国替。
儒学の師は荻生徂徠、
当時最先端の中国文化を黄檗僧から学び、博学、
多才で、全てに才能豊か。
特に画は長崎派を極めています。
釣り下げられた籠花入れに、
溢れんばかりに生けた極彩色の花々の絵が有名です。
池大雅の才能を見出し、
庇護者だったことでも知られています。
自身は非常に高い身分でありながら、
一般庶民とも深く心を通い合わせることのできた、
器の大きな人だったのかもしれません。
社交能力にも優れ、
京都に泊まった朝鮮通信使一行とも交友しています。
柳沢里恭(さととも)の名前を、
中国風に3文字にして《柳里恭》。
池野大雅が《池大雅》。
当時の流行です。
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地面に半分埋まった瓦をよじ登る大きな蛙を、
猫がロックオンしています。
イヌタデの先っちょに黒い揚羽がとまって、
茎が大きくしなっています。
左側、猫の頭上のバッタは、
つかまっていた茎が急にしなって驚いて、
イヌタデからビヨーンと飛んだところかもしれません。
昆虫たちの羽や肢、
猫の毛、目、
蛙の肌、
植物の葉や茎など、
生き物たちは、極く細部まで非常に細かく描かれます。
イヌタデは、一本は主幹がブツリと切れ、
もう一本は根元から折れ曲がり、
葉はちぎれ、
自然にあるままの姿を見せています。
夏から秋へ移る時間を切り取った景色。
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当時は博物学が流行っていました。
色んな種類の動植物を集め、観察するのが
一番面白いことだった時代です。
柳里恭は、それをうまく絵に反映させています。
そして、抜群のリアルさです。
バッタの肢に生えた細かなとげとげまで、正確に描き出しています。
本紙に僅かにシミがでています。
非常に上等な表具です。
箱の蓋裏に、
昭和29年に美術館に出陳された時の証紙が貼り付けられています。
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