本紙 約28 ×67,2
軸装 約123,5 ×75,8㎝
紙本

玉室宗珀
(ぎょうしつそうはく)
元亀3年(1572)~寛永18年(1641)
大徳寺147世
噇眠子

桃山時代、誰が武家政権のトップに立つかの動乱期から、
徳川時代への激動の時代に、
大徳寺の頂点にあり、
天皇の帰依信頼も厚かった高僧です。
加賀藩主前田家の帰依を受け、芳春院を開きました。
茶の湯に深くかかわったことでも知られています。

江戸幕府が成立すると、徳川幕府は法度を定め、
それまで朝廷が高僧に与えていた、徳の高さを示す紫の法衣や称号を、
幕府の許可なしに与えることを禁じます。
でも、当時の後水尾天皇は、
それまで通り幕府の許可なしにそれを与える勅許状を出したんです。
幕府は、これを許さず、無効を命じました。
朝廷は反発します。
朝廷に同調し、京都の高僧たちは抗弁書を書いて抗議したんですが、
幕府は、幕命に反した罪でトップの高僧たちを流罪にします。
この時、流罪になった一人が、
玉室宗珀です。
陸奥に3年流されました。

ちなみに、たくあん漬で有名な澤庵も、
この時出羽に流罪になりました。

雲門問僧近
離甚處
曰西禅
師曰西禅有
何言句
僧展両手
残与一掌曰
某甲話在
師却展両

僧無語
師又打

噇眠道人書焉

碧巖録54則が書かれています。

「碧巌録」は北宋時代に雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)が編んだ公案集に、
圜悟克勤(えんごこくごん)が解説を加えた禅の教本。
大徳寺の開山・宗峰妙超(大燈国師)は、この圜悟克勤の系譜ですので、
ざっくりいうと、玉室さんの大大大先輩です。
公案は、師から弟子に「悟りを得たか」と与えられる
試験みたいなものと考えるとなんとなく掴んでいただけると思います。
教えの大先輩の言葉、
禅を学ぶ者なら知らない者はない古典の言葉を玉室さんが書いた
格の高い内容です。

言葉というのは、
思いや考えを共有(伝える)ための共通記号として存在しますが、
人それそれ定義する内容には大なり小なり違いがありますね。
禅の理解、悟りもその人それぞれの世界観・人となりによって違うので、
言葉では言い表せないし、
言葉で表現すること自体を禅は嫌います。
ですので、作品を見てそれぞれの理解で、味わっていただくのがよいと存じます。

半面、
墨蹟は、書いた方の生き様、人となりが顕現します。
玉室さんのお手は、
筆致に掠れがなく、美しく、格調高い筆致です。
ただ文字を見るだけで、
襟を正さねばならない気持ちになる、
正座したくなる書の姿です。
全く偉そうにしていないのにね。

本紙に折れがございますが、
400年以上前の作品としては、良いコンデイションです。

龍寶山大徳寺に相応しい団龍団雲の中廻裂
(虫食いあり)
朱塗軸先

溜塗時代箱

¥385000
消費税・送料込

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玉室宗珀筆碧巖録

玉室宗珀筆碧巖録
    
コンデション仔細
  

 

 

 


箱裏修復痕有