口径 約8㎝
高台外径 約3,9㎝
高さ 約7㎝
江戸時代前期

尾形乾山
寛文3年(1663)~寛保3年(1743)
京都の呉服商雁金屋・尾形宗謙の三男。
惟允(これみつ)・権平・深省・紫翠、他
「乾山」は名前ではなく、
京都の西北・乾(いぬい)の方角の山の中に築かれた窯で作られたやきものの意。
乾山焼と呼ばれるのが正しい名称とされています。
それが、人の名前として定着しています。

高台の中や畳付まですっかり黒い、とても小振りの楽茶碗。
片掌に収まるほど小さい乍ら、
胴部分をくびらせ、手抜きのない造形です。

高台脇に黒釉を楕円に抜いて白化粧地を施し、
「乾山」と銹絵で記しています。

「乾山には黒茶碗はない」説もありますが、
2004年、MIHO MUSEUM「乾山」展の図録には、
掻き落としや釘彫りで、松・立鶴・鶴亀・梅を描いた黒茶碗(いずれもMIHO MUSEUM蔵)が紹介されています。
それらの作品に共通するのは、高台内を削り出して兜巾高台とした造り。
本作品も同様の高台です。
畳付まで掛けられた黒釉の目痕が3つなことも、共通しています。

「乾山」の落款は、長方に枠取られることが多いですが、
湯木美術館ご所蔵の銹絵染付絵替筒向(底径5,9㎝)は、
本作品と同じように、小判型の落款です。
落款を施す面が小さい場合、全体のバランスを考慮して落款の窓を狭くしたのだろうと推察されます。

名家ご所蔵の茶箱には、
のんこうの、本作品と同じくらい小さな茶碗が収められている例もあり、
本作品はもともと茶箱用に造られた茶碗と考えられます。
上記の胴締めの他に、
「乾山」落款部をよけた高台の脇に、半円ぐるりと浅く鎬(しのぎ)が施され、秀逸です。

6㎝程、黒漆でニュウを抑えた部分と、
窯から引き出す時の金具痕の上部に約2㎝のニュウがございます。
箱はありません。
茶箱か茶籠に仕込まれていたお品が、離れてしまったのでしょう。

一枝の花を散らして織り込んだ上質な古裂、長緒の仕覆。
仕覆の底が欠損しています。

¥550000
消費税・送料込

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漆による修復部分外内
ニュウ部分


銘乾山小黒茶碗
乾山黒小茶碗


仕覆底
仕覆内側