本紙 約93 ×35㎝
軸装 約189,8 ×48,3㎝
絹本着色

今村紫紅
明治13年(1880)~大正5年(1916)
ご維新後の外国との輸出入港として勢いある横浜に生まれ、
明治30年(1897)、兄がすでに門下であった、歴史人物画の大家松本楓湖に入門。
研究会で知り合った安田靫彦と深く交友し、
靫彦の縁で、岡倉天心が拠点とした五浦(いずら)で、天心下の、
横山大観、下村観山、菱田春草、下村武山らの影響を受けながら自身の絵画世界を作り上げてゆきます。
俵屋宗達に私淑していました。
早くから卓越した才能を発揮し、
その作品は数多く、東京国立博物館の所蔵となっています。
36才の若さで他界したため、作品の絶対数が多くありません。

懸想文(けそうぶみ)は、恋文のことです。
源氏物語の時代から、
美しい文章を、美しい文字姿で書けるということが、
その人の教養やセンスの見せ所の一つでした。

まずラブレターを送って、送られて、
男女の関係はスタートしたんですね。
第一印象がとっても大事!
文を書くのが苦手、または面倒な人のために、
代筆して売るのは、貧乏なお公家さんのアルバイトでした。

懸想文売りは、江戸時代から明治の京都のお正月の風物。
お公家さんとわかる烏帽子・水干姿で、
でも顔はばれないように、顔を布で覆って隠していたらしい。
本作品でも、烏帽子の男は目鼻しか出していません。
懸想文は梅の枝に結び付けて売り歩くんです。
本作品は、懸想文を結んだ紅梅のひと枝を手に持ち、
ちょっと振り返った一瞬を写し取っています。

関東で生きた紫紅ですが、
明治43年(1911)、京都に旅をしています。

落款「紫紅」の書き方が、ほかの明治43年頃の作品(業平東下り図屏風)と同じ姿なことから、
旅で見かけた京都の風物を描いた作品と思われます。

水干のふわっとした衣の質感も雅な表情も見事です。
烏帽子と括り袴は輪郭を描かない没骨で表現し、
水干の袖につけた葉っぱ(附けもの)など、
水分をたっぽり含んだ潤った筆で彩色されています。
宗達に私淑していたことが納得されます。

時代の若い、質の低い表具替えが施されています。
上質な表具に仕立て直されることをお勧め申し上げます。

上部と中ほどに絹本の色が変色した部分がございます。

時代二重箱

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今村紫紅筆懸想文売


落款
 
絹本変色部分
軸先

風帯によれがございます
    

外箱と内箱の間に隙間がございます

懸想文売り資料古新聞

集英社・現代日本美術全集3 菱田春草/ 今村紫紅(1973年)
掲載落款