胴径 約8,1㎝
高さ 約5,4㎝
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円能斎
裏千家13代
明治5年(1872)~大正13年(1924)
11代玄々斎が跡継ぎとして期待していた一如斎が17才でこの世を去り、
京都の豪商角倉家から玄々斎の娘・猶鹿の婿養子に迎えられ、裏千家の家元を継いだ又玅斎の長男として生まれ、
茶道の近代化に尽力されました。
又玅斎さんから家督を譲られたのは明治18年、円能斎さんはたった14才。
お茶文化の庇護者だった大名がいなくなった明治維新のあと、
とても若くして家元となり、大変ご苦労された家元ですね。
茶道が学校教育に導入され、大繁栄する礎となった人物。
新島八重や赤星弥之助ら、政治経済界の大物たちが円能斎の門人となりました。
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利休切腹のあと、会津の蒲生氏に身を寄せていた少庵が許されて京に帰ってきた時、
秀吉から独楽香合を拝領して以来、
独楽紋は千家の定紋になったとの説もあるくらい、
独楽はお茶にとって大切なデザイン。
本作品は、木地透き漆に朱・黄・緑・黒漆で独楽文としています。
それぞれの色の幅は不定で、絶妙なバランスです。
色の変わり目は、とても細い溝が彫られ、
通常は平らな棗の表面に立体的な装飾感が加えられています。
合口部は上下共に幅1㎜ほどだけ木地が見えていて、朴訥な印象。
色漆が擦れて木地が現れた部分や
時代による変色部があり、自然な味わいが出ています。
内側は黒漆が経年で潤色に変化し、ムラが生じています。
こういう感じは、時間しか作れない美しさです。
蓋に僅かですが、傷みを塗り直した跡、
小疵ががございます。
目の詰まった良い材の箱
蓋裏に円能斎の「時代独楽棗 宗室(花押)」の墨書き
¥100000
消費税・送料込
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蓋裏

小疵あり

塗直し部分・小疵




