本紙 約36,2 ×64,7㎝
軸装 約125,5 ×67㎝
紙本墨画

翠厳宗珉
すいがんそうみん
慶長13年(1608)~寛文4年(1664)
大徳寺第195世住持
寸松庵二世
江月宗玩の甥で、江月さんの法を嗣ぎました

狩野探幽
慶長7年(1607)~延宝2年(1674)

大梅常禅師僧問
如何是祖師西来意
師云西来無意

翠厳野衲書之

大梅法常に僧がききました。
「達磨がインドから来たことの意味はなんですか?」
「意味はない。」

碧巖録第20則では、龍牙居遁(835~923)が、翠微無学(年代不詳)に、
この質問をぶつけています。
始祖達磨が西(インド)からやってきたのは、どんな意味があるんですか?
翠微は「禅板(座禅したまま寝る時に首を乗せる板)を取ってくれ」と答え、
禅板を受け取ると龍牙を打ちます。
龍牙はいいます。
「意味はないんだな」

龍牙はまた、臨済(~867)に問います。
始祖達磨が西(インド)からやってきたのは、どんな意味があるんですか?
臨済は、「私のために蒲団を持ってきてくれ」
龍牙が渡すと、臨済は龍牙を打ちます。
龍牙はいいます。
「意味はないんだな」

「碧巌録」は北宋時代に雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)が編んだ公案集に、
圜悟克勤(えんごこくごん)が解説を加えた禅の教本です。

禅は不立文字。
言葉で言い表すことはできない本質です。
その人の人間性・哲学によって、理解は全く違ってきます。
言葉は記号で、受け取り方はそれぞれの中にあるモノに対応していますからね。
「打つ」ときくと、現代では暴力的なイメージですが、
打つこと、打たれることでしか伝わらないモノがあります。

本作品では、大梅法常(馬祖の弟子)に一人の僧が問う姿で、このことが書かれています。

碧巖録には、達磨は青龍=良い馬に乗ってきた、とあるので、
探幽は馬に乗った禅師を描いていますね。

淡い墨色なのに馬の疾走する強い躍動感が表現されています。
こんな絵は、並大抵で描けるものではありません。
見る者の胸に、飛び込んでくるようです。実際、
達磨がはるばるインドから伝えた教えが、
翠厳の書と探幽の絵によって、いま生きているこの胸に飛び込んで来る気がします。

市松地紋団龍金襴中廻し裂
金襴一文字風帯
時代象牙軸先など、素晴らしい軸装

時代極め箱
箱立花大亀(1899~2005)による極め三重箱

とてもたくさんの資料が付属しています。
旧蔵者の本作品への強い思いが推し測られます。
平成2年、名古屋城内での茶会の会記、手書きの見本が同包されています。
本作品は猿面茶席での濃茶の掛物と記されています。
ちなみに、花入は
「利休所持、宗旦直書、覚々斎、啐硺斎、即中斎書付」
とありますので、相当に気合の入ったお茶会であったことが推測されます。

¥385000
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翠厳宗珉筆狩野探幽画如何是祖師西来経年によるシワがございますが、おおむねコンディションは良いです
翠厳宗珉筆狩野探幽画如何是祖師西来


 
中廻し上下・地裂のコンディション背面
   
巻き留め・内箱蓋裏極書・二重箱蓋裏大亀極書
  
三重箱
内箱の漆吹きに疵あり
 
本作品使用、平成2年、名古屋城内での茶会の会記、手書きの見本
  
こんなメモも!

 
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