本紙 約123,7×29,5㎝
軸装 約198,5 ×32,4㎝
紙本淡彩

「指墨」は、
指墨画・指頭画と呼ばれる、筆の代わりに指や爪で描く画法。
中国清朝で流行り、
大雅に教示したのは、柳沢淇園だとされています。
柳沢淇園は大和郡山の家老、とても身分の高い殿様で、
絵師としての名前は柳里恭(りゅうりきょう)。
大雅の才能を見出し、応援し
世に出してくれた人です。

指や爪で描くことは、筆より難しい。
思った通りの線、面を表すのに、技術が必要です。
指墨による鍛錬によって、20歳代の大雅は画力を上げていきました。

大雅の指墨画は江戸でも評判が高く、
26歳で江戸に滞在していた時、
「大名の御座敷へ罷出、あなたこなたにて席画仕候」
と、講釈師の馬場文耕の書いた「当世武野俗談」に登場しています。
《席画》は、宴席などで、お客様の前で即興で描くことです。
20才代で、全国区の人気絵師となったんです。

芭蕉の葉の下に上の平らな机のような大きな岩があり、
文人が本を広げています。

寝ています。
後ろに控える僕童も寝ています。

暑い日、の芭蕉の葉陰で読書しようと思ったけど、うつらうつらしてしまった。
自由でアカデミックな理想の生活の一場面を切り取っています。

指は、筆のように水分を溜められませんので、
うんと濡らして水分たっぷりに描いています。

筆を使うように、思い通りの線は容易に引けません。
眉から鼻へつながる優しいラインや陰影、
伏せた瞼のちょっとした線の表情は、大雅の指墨作品特有の繊細さ。
痺れるタッチです。

本作品では、顔部分が薄い代赭(朱)によって色付き、
一段と明るくほのぼのとしています。
代赭は岩や芭蕉にも差されています。

墨だけだと高潔すぎますが、代赭が加えられることによって、
親近感がアップして、
作品と見る者の距離が近くなる感じです。

款記は「九霞山樵指墨」
「九霞山樵」朱文長方印
「泉石膏盲/せんせきこうこう」白文方印
「光風霽月/こうふうせいげつ」朱文長円印。

《泉石膏盲》は、「清らかな自然の中で暮らしたい気持ちが強固です」の意。
「膏肓」は、
皇帝の体の奥底〈膏肓〉に病が入り込んでいて、
鍼の名医でも、治癒が叶わなかった中国の故事に由来しています。
確か、横隔膜の奥です。

昭和35年に出版された《池大雅作品集》(中央公論美術出版)に収録された811作品の内、
この印章が捺された作品は4点。
作風から、すべて20才代の作品と考えられます。
そのうち描かれた年が明記されているのは、
「呂洞賓像」1作品のみで、
延享4年(1747)、大雅25才。

制作年のはっきりわかる、最も若い大雅作品は、
故郷へ帰る五十嵐俊明に贈った「渭城柳色図」で、
延享元年(1744)二月、大雅は22才ですので、
25才は画業として最初期です。

《光風霽月》は、心が澄み切ってわだかまりが一切ないことを意味する言葉。
この印章も20才代でのみ使われています。
「九霞山樵」朱文長方印も、20才代でのみ使われた印章です。
共に「呂洞賓像」(延享4年/1747・大雅25才)にも捺されています。

《泉石膏盲》も《光風霽月》も、大雅は理想を丸出しに印章に刻しています。
若さがほとばしって清々しく、タッチングです。
この印章は類例が少なく、貴重です。

賛を書いたのは、佩蘭主人。
加賀藩前田土佐守5代・前田直躬(なおみ/1714~1774)。
箱には「祇園南海」と誤記されていますが別人です。
祇園南海は、紀州藩に仕えた藩需で、漢詩人で、文人画家。
大雅は南海を訪ねて教えを得ていますので、
情報伝達の不確かな時代には、「祇園南海賛」の方が、ハクがついてよかったのでしょう。

大雅は寛延2年(1749)27才の時、親友の高芙蓉と北陸に旅をしています。
その時に着賛された作品と考えられます。
一介の若い庶民の絵師の作品に、加賀藩の御大家の当主が賛を書く。
大変名誉なことであったでしょう。
大雅の人気がうかがえます。
前田直躬公は、冷泉為村に和歌を学んだそうですので、
その縁で、為村に和歌を学んでいた大雅と交友があったのかもしれません。
当時の文化交流が残された、貴重な一幅です。

本作品は、向かって右側が本紙と軸装を貫いて虫に喰われています。
補彩しましたが、元々裏面から補修された紙の質により、修復痕が目立ちます。
表具裂が作品にピッタリでしたので、軸装し直しませんでした。
他に、
本紙に折れや修復痕がございます。
ご確認ください。

時代箱

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池大雅筆指墨芭蕉下読睡図

  
「九霞山樵」朱文長方印・「泉石膏盲」白文方印/「光風霽月」朱文長円印。
池大雅筆指墨芭蕉下読睡図

池大雅筆指墨芭蕉下読睡図
虫食い


裏面

裏面からの修復状態
  

池大雅
享保8年(1723)~安永5年(1776)
諱/橆名(ありな)・勤
字/貨成・公敏
号/大雅堂・三岳道者・霞樵・九霞、他

京都に生まれ活躍した、絵師で書家、文人。
当時、応挙・若冲と並ぶ、大人気アーティストです。
20才代ですでに名声が高く、
旅が好きで日本各地を旅したため、
日本各地に大量に贋物が存在しています。

近世の絵師で、
国宝・重要文化財に指定されている作品は大雅が最も多いことは、
現在ではあまり知られていません。
文化庁にも数多くの大雅作品が収蔵されています。