本紙 122 ×28,5㎝
軸装 195 ×37,4㎝
紙本墨画

大田垣蓮月
(おおたがきれんげつ)
寛政3(1791)~明治8(1875)

生まれてすぐに、
京都知恩院門跡勤士の養女になり
同家の養子と結婚→死別。
次に同家の養子となった人と結婚→死別。
その後仏門に入ったのだそうです。
その時32歳。
想像を絶する人生です。
個人の人生よりも
《家》の存続・繁栄に圧倒的に重きが置かれていた時代に、
自分に課せられた運命を全うしようと身を尽くす女性。

養父の死後、
岡崎に移り住み、
陶芸で生計を立てたのだそうです。

歌人としても高く評価されています。
青年期の冨岡鉄斎を侍童として共に暮らし、
鉄斎に大きな影響を与えました。
そのため、
鉄斎の画に蓮月の一句の合作も多く作られています。

この作品は、巻き止めに書かれた筆から、
文化8年(1811)11月8日に
摂州浪花の安井春調斎によって描かれた宝珠図で、
醍醐寺普賢院の什器だったことがわかります。
〈於和州生駒山〉
とありますので、現在の京都の醍醐寺とは別の寺院かもしれません。

あめつちにすきて
と不りて
明らけきミよのためしの
すか玉そこれ
とし七十七才 蓮月

もともと、宝珠だけが描かれた掛け軸に、
後年、蓮月が一句を加えた一幅と思われます。

雨土に透けて通って
明らかになった、天皇の治世の魂の
これが宝珠である

でしょうか。

款記の、蓮月77歳の1868年は明治元年。
二百数十年ぶりに将軍から天皇家に治世が還った年に当たります。

蓮月が生まれてすぐに養女に出され、
若い時代に人生をかけて尽した知恩院は、
徳川家とも、天皇家とも縁の深い寺院。

年月を経て、
再び日の目をみた
天皇の御代を寿ぐ一幅としたのかもしれません。

表具に虫食い、汚れがございます。
本紙に若干の折れ、
本紙左上に小さな虫食いがございますが
シミはほぼありません。
箱無し

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上部左隅、小さな虫食い

表具虫食い

巻き止め

表具上部傷み、貼り風帯

表具下部汚れ、傷み