本紙 約129 × 28㎝
軸装 約214 × 43㎝
紙本淡彩

「秋谿漁舎」
《谿》は、「谷川」「谷の水が流れるところ」の意。
谷の水の流れるところの、
漁師の侘びた住まいを描いた作品です。

画面の上部分に、
紅に染まった山の懸崖から滝が流れ落ちています。

画面下では、
石垣の上の小屋から、小さな子供が両手を振って、
釣り竿を担いだ人に笑いかけています。
可愛い笑顔です。

遠い山の皴も、樹々の葉も樹の幹も、
水分をたっぷり含んだ大雅特有の潤った筆致。

「墨画淡彩」としましたが、
代赭(朱)と藍色を施した部分がとても多く、
著色画といっても良いほどです。

秋が深まって、紅葉が見事な山間に、
雲がたなびく景色《白雲紅樹》。
大雅作品で、重要文化財指定された作品もある、
モチーフの一つです。
本作品は、滝の落ちる遠景と、
人の営みの描かれる前景の間に白い雲があって、
それは、上から降りて来るように、
上下の画面に関係性を持たせています。

遠くに描かれた滝の水は、
手前の家の前、細い橋の下に流れて来ているんだな。

清浄で、温かな、気持ちの良い画です。

そして、こんなに良い笑顔の子ども!
きっと、橋を渡って帰ってくるのは愛しい人なんだな。

良い画は、何百年たっても、
中で人が生き生きと生きています。

見ているこちらまで嬉しくなります。

本紙の左下にキズが一ヶ所ございますが、
それ以外は非常に良いコンデションです。

「霞樵」朱文聯印
「前身相馬方九皐」朱文長方印。

この2つの印章は、共に30歳代から最晩年迄使われています。
2つのみが同時に捺された作品で、
年記がはっきりわかっている最若の作品は、
六遠図(東京国立博物館蔵)の内の《高遠図》
明和3年・大雅44歳。
一番遅いのは、49歳の時の
《清香倚石図・数竹友石図》双幅作品。

この2つが一緒に捺された作品は
40歳代後半に非常に多いです。

縦長の画面を最高に活かし、
手前からはるか遠くまでを描いた見事な画面、
力の抜けた筆使い。

大雅の画力が円熟して満ちる
40歳代後半の作品です。

上下一文字裂は蟹模様。沢蟹です。
遊び心のある方が表具されたのでしょう。

漢字四文字で、作品の胆を上部の余白に書くのは、
大雅より20歳年下の、浦上玉堂の作品に多いスタイルです。
玉堂は、大雅作品からヒントを得て、
自分のスタイルに昇華したのだと私は思います。

大雅は「泉石膏肓」の想いを胸に、
しかし最後まで、京都東山で、人の暮らしの中で生きましたが、
玉堂は、脱藩し、二人の息子を連れて諸国の友人の間を流浪し、
酒を呑み、琴を奏で、書画作品を好きなように制作し、
俗世から隔絶して生きました。

大雅作品から溢れ出る、
人間と人の暮らしへの限りなく優しい眼差し。
没後250年近くの時を経た今も、
描かれた時と同じように、
私たちを癒し、元気づけてくれます。

大雅円熟期の書画が一つの作品に集約された優品です。

合わせ箱

¥650,000
消費税・送料込

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池大雅
享保8年(1723)~安永5年(1776)
諱/橆名(ありな)・勤
字/貨成・公敏
号/大雅堂・三岳道者・霞樵・九霞、他

京都に生まれ活躍した、絵師で書家、文人。
当時、応挙・若冲と並ぶ、大人気アーティストです。
20才代ですでに名声が高く、
旅が好きで日本各地を旅したため、
日本各地に大量に贋物が存在しています。

近世の絵師で、
国宝・重要文化財に指定されている作品は大雅が最も多いことは、
現在ではあまり知られていません。
文化庁にも数多くの大雅作品が収蔵されています。

川端康成、梅原龍三郎、谷川徹三ら
一流の文化人、画家たちも大雅に魅了され、
その作品を愛藏されていました。
国宝に指定されている「十便十宜図」は川端康成さんの旧蔵品です。

池大雅筆 秋谿漁舎図    

池大雅筆秋谿漁舎図