本紙 約98,5 ×33,8㎝
軸装 約160,5 ×46㎝
絹本着色

大雅が、富士山が大好きだったことはよく知られています。
白山・立山・富士山の
三霊山に登り、「三岳道者」と号したくらいです。
富士山と白糸の滝を同じ絵の画面に入れる構図を考え付いたのは、
大雅だったとされています。

紙本の多い大雅作品において、
富士山を描いた作品は絹本が多い印象です。
妻玉蘭のために描いたとされる大作「富士十二景図」も絹本です。
本作品も絹本です。

雲断上頭環積雪
山窮霄漢別搴峰

山頂に積もった雪を雲が断ち
富士山は天に突き抜けてるなぁ

霊峰の右の裾野に出っ張った山があります。
てことは、実際の富士山を写した作品ですね。
実景をベースに、
手前から、
右へ左へと斜めに遠景に目が進みます。

一番手前の土坡の上の家がとても小さく、
前景がすでにだいぶ遠い景色なことがわかります。
左手の崖の細道から、橋が伸びて右手の森へ。

中景の山々が湾を区切り、
さらに遠くの湾に霊峰が聳えています。
清々とした遥かな景色が、小さな画面に広がります。

冠雪や雲は、
塗り残すことで白さを表わしています。

土坡の皴や木々の葉っぱは、ごく細かなタッチで密に墨で描かれます。
地部分に薄い藍や緑・黄緑、代赭を丁寧に重ねています。

弊店所蔵の「蘭亭曲水図」と同じ手法です。
◇池大雅筆 蘭亭曲水図◇

「橆名」と「霞樵」の違いはありますが、
款記の筆も非常に近い筆致です。
同じ時代の作品でしょう。

大雅は多作で、ごく少ない筆致の作品も多いですが、
本作品は絹本に丁寧に描かれた力作です。

霞樵寫併題

「遵生」朱文長方印、は
30歳代末から生涯使われた印章。
重文「東山清音帖」・国宝「十便十宜」図にも使用されています。

「深濘池氏」「橆名」白文方印は、
20歳代から40歳代前半までに使用された印章で、
同じ印材の両面に刻され、たいていペアで捺されます。

萬福寺の大鵬正鯤和尚が再住されたお祝いのための作品など、
30歳代では、絹本着色の力の入った作品に捺されることの多い印章です。

絹本がやけています。
上部に汚れがあり、所々にシミが出ています。

時代箱

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池大雅筆富士山水図
池大雅筆富士山水図

 
款記
池大雅筆富士山水図 

 
汚れ部分・特にシミのきつい部分

 

 
張札/ 巻き留めに書き込みがございます


余談
2018年に京都国立博物館で、池大雅時別展が開催されたとき、
大雅が玉蘭のために描いたとされる「富士十二景図」の展示がありました。
もともとは一つの箱に収められた十二幅対でした。
制作当時から評判の作品であったことがわかっています。
しかし、京博で拝見した時は、作品との距離が遠く、仔細に触れることができなかったため、
作品を縦に横切る汚ればかりが前に出て、鑑賞できなかったんです。

伝世していた1・3・5・6・8・11・12月は東京藝大がご所蔵で、
一時所在不明であった2・4・7・10月は滴水美術館のご所蔵です。
9月は、2018年当時行方不明でしたが、
この京博の池大雅展をきっかけに、発見され、
その記念に東京藝大の美術館で、12幅がめでたくそろったお祝いの展示があったのです。

藝大の美術館は規模が小さく、作品との距離がとても近かったため、
初めてその仔細を拝見し、その素晴らしさに圧倒されました。
12幅すべてが、違う画法で描かれていました。

長々と書いて申し上げたいのは、
美術品は実際に、感じられる距離で見ないとダメってことです。

池大雅
享保8年(1723)~安永5年(1776)
諱/橆名(ありな)・勤
字/貨成・公敏
号/大雅堂・三岳道者・霞樵・九霞、他

京都に生まれ活躍した、絵師で書家、文人。
当時、応挙・若冲と並ぶ、大人気アーティストです。
20才代ですでに名声が高く、
旅が好きで日本各地を旅したため、
日本各地に大量に贋物が存在しています。

近世の絵師で、
国宝・重要文化財に指定されている作品は大雅が最も多いことは、
現在ではあまり知られていません。
文化庁にも数多くの大雅作品が収蔵されています。

川端康成、梅原龍三郎、谷川徹三ら
一流の文化人、画家たちも大雅に魅了され、
その作品を愛藏されていました。
国宝に指定されている「十便十宜図」は川端康成さんの旧蔵品です。